++ 血の記憶 ++





 噎せ返るような血の臭い。

 そして目に痛いほどの鮮やかな赤。

 手にしたナイフから、まだ温かさを保った血が滴り落ちる。

 ナイフだけではない。己の顔も、髪も、ナイフを握る手も、何もかもが真っ赤に染

まってしまっている。

 そして足元に転がっているのは無数の死体。

 それらは先ほどまで命を灯していたのであろう。まだ体から赤い血を流して床に

小さな水溜りを作っているが、倒れ伏した瞳は一体何が起こったのかを理解して

いないように自分の命を奪った者の姿を映し出していた。

 すでに光を失くした目に映し出されているのは……まだ幼さを残した一人の少

年。

 そう。この少年が、この場にいる人間を全て葬ったのだ。

 殺すことは簡単だった。相手はこちらが子供だとわかると必ず油断する。

 まさかこんなガキに人を殺せるはずがない。

 まさかこんなガキに自分が殺されるはずがない。

 その何の根拠もない自信が少年を一人の殺人者へと仕立て上げてゆくのだ。

「……………………」

 少年は無言のまま顔を塗らす血を袖で拭う。

 一緒に髪も軽く拭おうとして……すぐにやめた。

 どうせ自分の髪はこの血と同じ色をしている。拭いたところで同じことだ。

 胸中でそう一人ごち、少年は唇に緩やかな弧を描いた。

 少年らしからぬ暗く冷たい不気味な笑みが、ただの肉塊と化した骸を見下ろし

ている。

 それは人を殺すことに快楽を覚えている笑み。

 刃を突き立て、肉を裂くことに喜びを見出している笑み。

 少年は全身の血がざわめくのを感じていた。

 もっと、もっとと、自分の中の何かが訴えているのがわかる。

 それはまるで、自ら血の海に溺れることを望んでいるような………………


























 目覚めは最悪だった。

 ここはようやく住み慣れ始めた特務支援課寮の自室。まだ日は昇っていないの

か部屋の中は暗く、物音一つ聞こえない。

 ランディは半ば呆然としたように目を見開いたまま天井を凝視する。息をするこ

とすら忘れてしまっていたが、ふと鼻の奥に蘇る臭いがあった。

 それは己が幼い頃から絶えず嗅いでいた、鉄錆にも似たあの臭い。

「……ぐっ……!!」

 夢の中で嗅いだ臭いを思い出して吐き気に襲われる。

 転がるように部屋を出て1階に降り、台所で胃の中のものを全て吐き出した。

 ひとしきり吐いたところで水で口をゆすぐ。酷い頭痛と眩暈がしたが、倒れそう

になることだけはどうにか堪えた。

「………………」

 久しぶりにあの夢を見た。

 自分が生まれ育った、『故郷』と呼ぶべきかもしれない場所の夢。

《赤い星座》。それがランディ……ランドルフの育った場所だ。

 ランディは大陸西部最強と謳われた猟兵団・《赤い星座》の団長の息子として生

を受けた。

 父は《闘神》と呼ばれ、世界各地の猟兵団の間ではその名を知らぬ者がいない

ほど恐れられており、ランディ自身も《闘神の息子》としてその名を広めていた。

 それ故、ランディの人生は生まれた時から血に塗れていた。

 人々の悲鳴を子守唄代わりに聞き、父親がターゲットの首を土産に持って帰っ

て来たこともあった。

 そうしてランディ自身も今まで数え切れないほどの人間を殺してきた。

 そうすることを命じられていたし、ランディもそれが当たり前だと思っていた。

 人を殺すことに疑問や罪悪感を感じたことなど一度もなかった。ターゲットの断

末魔の悲鳴を聞き、血を浴びることを心地よいとすら感じていた。

 ……だが、今は違う。

 特務支援課に所属してクロスベルの人々を助ける日々。

 一つ一つの仕事は小さいものが多いけれど、それでもランディは言葉にはでき

ぬほどの充実感を得ることができていた。

 ほんの数年前まで人を殺し続ける毎日だったのに、それがもうとても遠い昔の

出来事のように……あれは夢だったのではないかと、そう思えてしまうほどにまで

ランディの日常は大きすぎる変化を迎えていた。

 ……だが、あれは夢ではない。紛れもない事実だ。自分が名も知らぬ人達を殺

し続けてきた過去は決して消えることはない。

 だからこそ時折不安になるのだ。

 本当にここは自分がいてもいい場所なのか、と。

 これまでたくさんの人間を殺めてきた自分がのうのうと生きていてもいいのだろ

うか、と。

「…………はぁ……」

 一つ大きく息をつく。肺の中に真夜中の冷えた空気を送り込むと、それだけで随

分と気分が落ち着いたような気がする。

「……!!」

 しかしその時、背後から人の気配を感じた。

 恐らく相手はこちらに気づかれぬように気配を消しているつもりなのだろう。だが

生まれた時から生と死の境目で生きてきたランディは人の気配を察する能力に長

けている。

 弾かれたように後ろを振り向くのと、開いたままの扉の隙間から人の姿が見え

るのはほぼ同時だった。

「……ランディ?」

 そこに現れたのはランディの同僚……隣の部屋のロイドだった。

 人を強く疑うことを知らぬ瞳に、ランディは全身の力が一気に抜けていくのを感

じていた。

「……なんだよロイドかよ……」

 安堵したように息を吐くと、ロイドは申し訳なさそうに頭を掻いた。

「ごめん。なんか部屋から出て行く音が聞こえたから……」

「あぁ……起こしちまったか。済まないな」

「それは構わないけど……それよりどうしたんだ? 気分でも悪いのか?」

 ここでロイドに悟られるわけにはいかない。……あんな血塗られた過去を、この

正義感の塊のような眩しすぎる存在には知ってほしくない。

 ランディはほんの僅かだけ表情を曇らせたが、すぐにふざけたように笑う。

「……昨夜ちょっと飲みすぎちゃってね。いやー、可愛い子達に勧められると断れ

ないんだよ。モテる男は辛いよねぇ」

 我ながら上手く笑えたと思う。

 まず猟兵団を抜け、警備隊に勤めることになったランディが覚えたのは上手に

笑うことだった。

 笑ってふざけたことを言っていれば『ランディ・オルランドはそういう人間なのだ』

と勝手に思ってもらえて大抵のことはやり過ごすことができる。まさかこんな軽い

男が猟兵出身だとは誰も思うまい。

 それに、猟兵育ちで世間一般的に言う『常識』というものを知らなかったランディ

にとってはそれが最善の策だったのだ。

「あぁ……そう言えば、夕方に歓楽街で女の子に誘われてたね」

 そんなランディの笑顔の真相にはさすがに稀代の名探偵も気がつかなかったの

だろう。そのことに今は安堵する。

 今日は支援課の仕事を早く終えることができので、昼過ぎには各々自由時間を

貰うことができていた。

 ランディはいつものようにカジノで夕刻まで時間を潰した後、広場で出会った顔

見知りのホステス達と飲みに行ったのだが、どうやらそこを見られていたらしい。

「なんだよ、見てたのかよ。声を掛けてくれてもよかったじゃねえか」

「掛けられるわけないだろ……」

 そういうロイドの頬は僅かに赤い。

 いつもは「職務中だから」だとか何とか言ってランディに付き合うことはないが、

やはりそこは年頃の少年だということなのだろう。もう自分には無い初々しさに思

わず苦笑してしまう。

「……それにしてもよく俺がいるってわかったな。今日の歓楽街はすごい人出だっ

ただろ?」

 今日はアルカンシェルの公演があったため、歓楽街はいつもより多くの人でごっ

た返していた。

 現にランディはロイドがいたことに気づかなかったのに。そう思っていると、ロイド

は「あぁ」と笑う。

「ランディは遠くからでもすぐにわかるよ。その髪はすごく目立つから」

 言いながら指差されたのは己の赤毛。

 その瞬間、ランディの笑みがほんの僅かだが固まってしまう。

「あ……あぁ、やっぱ目立つか?」

 けれどすぐに我に返り、顔に垂れた髪を軽く摘む。

 ……自分の髪の色は嫌いだった。

 昔から猟兵仲間に『まるで血を浴びたような色だ』とからかわれていたし、実際

そうなのではないかという錯覚に落ちることも多々あった。

 父親譲りの真っ赤な赤毛。鏡を見るたびに嫌でも目に入ってしまい、今でもあの

猟兵団にいた時のことを思い出してしまうから。



 それはまるで戒めのようにランディの脳裏に纏わりついて離れない。



 自分は血に魅入られた、呪われている子なのだとそう言われているような気が

して…………



「うん。目立つし……それに俺は好きだな、その赤髪」

 そんなランディの意識が一気に現実に引き戻される。

「…………え?」

 間の抜けた声を返して顔を上げると、そこには朗らかに笑うロイドの姿があっ

た。

「だってなんかかっこいいじゃないか。俺は好きだよ」

 自分のことが嫌いだった。

 特にこの赤毛は、あの忌まわしき父親の血を引いていることを嫌というほどに如

実に知らしめているから。

 ……それなのにどうしてだろう。

 目の前の少年の呟いたたった一言に、荒んでいた心が解かされてゆくのがわ

かる。

 この髪の色が好きだと、そう面と向かって言ってくれる人は初めてだった。

 それは呪われた自分をほんの少しでも肯定してくれているような、そんな気がし

てしまって…………

「……ランディ、どうしたんだ? やっぱり気分が悪いんじゃないのか?」

 思わず黙り込んでしまったランディにロイドが心配そうな顔を見せる。

 ランディはハッとし、すぐにいつもの笑みを浮かべる。

「な、なんだよ。俺に愛の言葉を囁いても何も出てこないぜ?」

「どうしてそういう考えになるんだよ……」

 ロイドも溜め息をつきながらも安心したように笑う。

 そうして互いに笑いあっているだけで、ランディは己の居場所をやっと得ることが

できたような気がしたから。







 記憶に残る血の臭いが、僅かに薄れたような気がした。





































零SS1作目からいきなりダーク仕様ってドウヨ。
と思ったけど書きたかったから仕方がない(笑

2010.10.17 UP

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