++ 黒の鍵 ++




 ……あの日のことは今でもよく覚えている。

 忘れもしない、今から5年ほど前の冬の日のこと。

 空はよく晴れていたが空気はきんと冷たく、ガッシュは日課である武術の稽古を

終えると白い息を吐き出しながら屋敷の中に入っていった。

「ただいま」

「おかえり」

 ガッシュを出迎えてくれたのは兄のエルンストだった。火のくべられた暖かな暖

炉の前で椅子に座ってゆったりと本を読んでいる。エルンストはガッシュとは違っ

てそんな姿がとても絵になっていた。

「兄貴、また本ばっか読んでるのか?」

 昔からエルンストの武術の腕は確かなものだった。毎日体を鍛えているガッシュ

ですら一度も勝ったことがない。

 それなのにエルンストはどちらかと言えば本を読んだりする方が好きらしく、必

要以上に稽古をしたりしない。もっと鍛えればもっと強くなるのに、といつもガッ

シュは思っていた。

 弟の言葉にエルンストは笑いながら顔を上げる。

「それは私のセリフだな。お前はまた体ばかり鍛えていたのか?」

「俺はこっちの方が性に合ってるんだよ。本なんか読んでると頭が痛くなっちまう」

 汗を拭きながらエルンストの方に歩み寄る。

 と、そこで初めて兄の足元にたくさんの本が積まれていることに気づいた。しか

もどれもどこか古臭い感じがする。いつも兄貴が読んでいる本ではなかった。

「兄貴、これ……」

 ふと呟いたところで思い出す。

 そう、これらはガッシュの家の書斎に仕舞われていた本だ。悪戯心で書斎に侵

入したときに見たことがある。

 先祖代々受け継がれているものだとかどうとか両親に言われ、勝手に書斎に

入ったことをこってりと絞られたのでよく覚えていた。

「大丈夫か? 勝手に読んだりして」

「あぁ。ちゃんと父さんの許可はもらってある」

 言って、エルンストはぱらりと手にした本のページをめくる。

 確かに兄なら勉強熱心だし、何よりガッシュのように粗雑に本を扱ったりしない

ので両親も首を縦に振ってくれるだろう。

「……ふぅん、そっか」

 そこまで聞いたものの、それ以上は興味が無さそうにガッシュは本から目を逸ら

した。

 いや、実際に興味が無かったのだ。本を読むことも好きでなければ、兄の手に

ある本に書かれている内容にもこれっぽっちも興味が沸いてこない。



 ……はっきり言って、ガッシュは自分の家があまり好きではなかった。

 正確に言うと自分の家系が、だ。

 昔に祖先が悔やむことのできないほどの過ちを犯したということは知っている。

 子供の頃から両親にも親戚にも何度も何度も耳にタコができるほど聞かされて

いた。

 確かに先祖が犯した罪は許されないことだ。もう二度と同じ過ちを繰り返しては

いけないと思う。

 けれどそれはもう700年も前のこと。未だにそんな大昔のことを大げさなほどに

嘆く一族にガッシュは馴染めないでいた。

 体を鍛えているのもいつかは家を出て行くため。一族のしがらみから逃れ、誰

の力も借りず一人で生きていけるほど強くなるため。

 結果そんなガッシュは一族の異端児(落ちこぼれ)の烙印を押されてしまったわ

けだが、どうせ家は兄が継ぐし自分は出て行くので特に気にしてはいなかった。



 ……だが、兄はそんなガッシュとは違っていた。



「…………」

 けれど部屋を出て行こうとしたとき、視界をふと何かが掠めた。

 兄から目を背け、部屋を出ようと踵を返す。

 たったそれだけの本当に一瞬の間に、何故『それ』に気がついたのかはガッ

シュにもよくわからない。

「…………!!」

 気づいてしまった瞬間、ガッシュは大きく目を見開いた。

 慌てて兄のほうを振り返るが兄は涼しい顔をしてガッシュを見ている。

「どうした?」

 いつもと変わらぬ笑み。……だが、その瞳の奥底に暗い炎がちらちらと見え隠

れしている。

 知っているのだ。エルンストは、何故ガッシュがこんな反応を取っているのかを。

 ガッシュはそんな兄の様子にどこか末恐ろしいものを感じながら、ゆっくりと『そ

れ』の方を見た。

「兄貴、あれ…………」

 生まれた時から過ごしてきた部屋の中。そこに、たった1つだけ見慣れないもの

があったのだ。

 けれどそれは家具に隠れるように、言われなければ存在に気がつくことはでき

ないほど部屋の隅にひっそりと立てかけられている。

 ……たった一度。ガッシュも見せられたことがある。

 忘れたくても忘れることなんてできない。

 ガッシュの一族の罪の証とも言える存在…………黒の鍵・アルマリオン。

「な、なんでそれがここにあるんだよ!」

 あれは祖先が有翼人・アルマから盗み出したナピシュテムの匣を制御するため

のマスターキー。

 普段は屋敷の地下に安置されているはずだ。ガッシュも一族の人間だからと一

度だけその存在を目にしたが、厳重に鍵がかけられており、当主である父親でさ

えそう簡単に鍵を開けることはない。ましてや地下から持ち出すなど論外だ。

 ではどうしてそんなものがここにあるのだ?

 ……その答えは単純かつ明快なもの。兄が無断で持ち出したのだ。

 ――祖先と同じ過ちを繰り返すことは許さない。この鍵を悪用する者が現れな

いように、決して持ち出すことなかれ。

 それは次にこの家を継ぐ兄が誰よりもきつく言われてきた言葉のはずだ。その

意味もわからず鍵を外に出すほど兄は愚かではない。

 ……だからこそ、怖かったのだ。

 そう。ガッシュは誰よりも兄のことを知っている。

 兄は意味もなく一族の掟を破ることは決してない。

 ……そう。意味もなく。

「………………」

 エルンストはどこか怯えた風のガッシュを見やり、弟の問いに答える代わりに静

かに唇に弧を描いた。

 それは弟の反応にとても満足したと言いたそうな笑み。途端にガッシュの頭に

カッと血が上る。

「兄貴! どういうつもりなんだよ!」

 もしこんなことがバレればただでは済まない。早く再びあるべき場所へ戻さなけ

ればならない。

 しかしそんなガッシュの叫びにも、エルンストは涼しい笑みを返す。

 ぽつりと呟いて、ゆっくりと立ち上がる。そのまま部屋の隅まで歩み寄ると、立て

かけてあったアルマリオンを手に取った。

「……どういうつもり、か……」

 とても重そうに見えるのに、兄はまるで羽を持つかのように片手で軽々と鍵を持

ち上げる。

 静かに、一歩一歩を踏みしめるようにガッシュのほうへと近づいてくる。

「ではガッシュ、一つ問おう」

 あと数歩で手が届くというところでエルンストは立ち止まり、音も立てずにアルマ

リオンの切っ先をガッシュに向ける。

「お前はこれを、どうするべきだと思う?」

 狙いは、首筋。

 このままエルンストが飛び出せば、アルマリオンは間違いなくガッシュを貫いてし

まうほどの距離。

 それでもガッシュは怯むことはなかった。

 ギリッ、と歯を食いしばり、震える拳を握り締めて兄を睨みつけた。

「どうすればって……そんなの決まってるだろ!? さっさと地下に戻して封印す

ればいいんだよ! 今までずっとそうしてきたじゃないか!」

 そう。たったそれだけのこと。

 もう何百年も昔から一族の人間はその掟だけを守って生きてきたのだ。今更他

の選択肢が存在するなど有り得ない。

「………………」

 それなのに、エルンストはそんなガッシュの答えが気に食わないと言いたそうに

眉根を寄せさせる。

 あからさまに気分を害した様子の兄に、反射的にガッシュの体がピクリと震え

た。

 もしかしたらこのまま兄は自分を斬り捨ててしまうのではないか。そんな錯覚に

襲われてしまう。

「………………」

「………………」

 額から滲んだ汗が頬を伝う。呼吸をすることすら忘れてしまうのではないかと思

えるほどの緊張感の中……

 ……エルンストの口元に、ふ、と笑みが浮かんだ。

「……まぁ、いいだろう。今日はお前の言う通りにしておいてやる」

 首筋に宛がわれていたアルマリオンが下ろされる。

 それでもガッシュはその場から一歩も動くことができなかった。

 ……声を掛けることを許さないほどの気迫を放つ兄に、ガッシュは何も言うこと

ができない。

「……兄貴!」

 そんな弟を一瞥しながら、エルンストはガッシュの横を通り抜ける。

 そこでやっと、ガッシュは弾かれたように兄のほうを振り返った。

 弟の叫びにエルンストは足を止める。そしてゆっくりと顔だけをこちらに向ける。

「ガッシュ、忘れるな。……例えどれだけ否定しようと、お前の体には祖先の血が

流れているのだ。神に背き、力を得ようとした一族の血が」

「……そ、それは……」

 そんなことはわかっている。今更否定しようとも思わない。

 だが、罪を犯したのはもう何百年も昔の人間なのだ。ガッシュはガッシュ、祖先

とは違う。今を生きているガッシュには何も関係がない。

 ……そう言い返してやればいいだけのことなのに……何故か、言葉が出てこな

い。

 そんな弟の様子に気づいているのか、エルンストは笑みを深くさせる。

「ガッシュ、お前……気づいたのだろう? 子供の頃にたった一度しか目にした事

がないのに、こんな部屋の隅に無造作に置かれているのに、視界の端をほんの

僅か掠めただけなのに……それなのに、このアルマリオンの存在にお前は気づ

いたのだろう?」

 ……そう、兄の言う通り。どうしてか気づいたのだ。

 他のものはまったく気にも止めなかったのに、何故かあの漆黒の剣だけは視界

に映した瞬間、全身の血が逆流するほどざわめいたのだ。

 見なかったことにすることなどできない。一度しか見たことがないのに、あの圧

倒的な存在感を今でも覚えている。

 祖先がその力に魅入られた理由が、嫌でもわかるほどに……





「それはお前が祖先の意志を受け継いでいるという何よりの証なのだ。……何も

恐れることはない」




 嬉しそうに言う兄の声が耳に焼き付いて離れない。

 その言葉を否定することも肯定することもできず、ただ呆然と立ち尽くす。




 そのまま兄が部屋を出て行き、一人残されてしまった後も、ガッシュは兄の背に

声をかけることも後を追うこともできなかった。



































現代の闇の一族がどのくらいの規模のものなのかわかりませんが、大場さんの小説設定ではガッシュはいいとこのお坊ちゃんぽいんでそれをイメージして。

2010.2.22 UP

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