++ 殻の中の楽園 ++






 薄暗い部屋の中心に、胡坐をかいて座る一人の男がいた。

 闇に溶け込むような黒い髪に黒い服。その手にある白い紙だけがぼうっと光っ

ているように見えた。

『目を閉じてゆっくりとイメージしてみるのです』

 シャリアーズに言われた言葉を思い出し、ガッシュは静かに目を閉じた。

 鼻から息を吸い、口から吐き出す。

 それを何度か繰り返しながら意識を指先に集中させる。

 ……指先にあるのは薄い紙の感触。

 その輪郭を撫でるようにそっと指を這わせながら、ゆっくりと長く息を吐く。

 肺に溜まった空気を全て吐き出している間も、意識は指先だけに集中させる。

「………………」

 閉じた瞼から見えるのは闇の世界。

 耳に届くのは自分の呼吸音と心音のみ。

 しばらく続けていると、すうっと全身が空気の中に溶け込むような錯覚を覚える。

 けれど指先がやけに熱い。

「………………」

 息をすることすら忘れてしまうほどの無音の時の流れの中、暗闇にうねるような

光が見えた。

 いや、正確にはそれは光ではない。だって今は目を閉じているのだ。光など見え

るはずがない。

 ……では、この閉じた瞼にも映る光は一体何なのか……それはガッシュにもよく

わからない。

 光はしばらく蛇のようにその身をくねらせていたが、やがてガッシュの手にある

紙の上で何か紋様のようなものを象るとそのまま動かなくなってしまう。

「………………」

 決して目は開けぬままガッシュは静かに指を動かし、光の端に指先を添えさせ

る。

 己の指も見えてはいないのに、きちんと焦点が合っているということだけはわか

る。

 そしてそのまま、光をなぞるように指を動かした。

 その時、


  ――カタン


「っ!!」

 微かな……けれど無音の空間にはやけに大きく聞こえる音に、ガッシュは肩を

ビクリと震わせた。

 途端に集中力が途切れ、指先にあった光が霧のように掻き消えてしまう。

「あ、あの、すみません!」

 目を開くのと、その声が聞こえてきたのは同時だった。

 ガッシュは未だ何が起こったのか理解しきれておらず、目を何度か瞬かせる。

 すると部屋の明かりがつけられて薄暗かった部屋に光が差し込む。次第にはっ

きりとしてゆく視界に一人の女が映し出された。

「……なんだ、アンタか」

 大きなため息をつきながら、後ろに手をついて天井を仰ぐ。

 そこにいたのはガッシュの師……シャリアーズの従者である女。ガッシュも隠れ

里に来てからは何かと世話になっていた。

「す、すみません。お邪魔するつもりはなかったのですが……」

 申し訳なさそうにオロオロする女は手に盆を持っている。どうやら先ほどの物音

は茶器が触れ合った音らしかった。

「えっと、シャリアーズ様にお食事を運ぶように頼まれまして」

「あぁ、そうか」

 言ってガッシュは従者のほうを見る。その口元にはほんの僅かだが笑みが浮か

んでいた。

 よく『愛想がない』と言われているしガッシュ自身もそれは自覚しているが、さす

がに居候先の、しかも色々と世話までしてもらっている人にまで素っ気無い態度を

取るほど常識知らずではない。

 ……とは言っても、いつまでも人をからかうような態度を見せるシャリアーズは

別なのだが。

 彼女のほうも最初は異邦人であるガッシュに対して強い警戒心を見せていたが

今はもうそんな気配は無い。時折世間話もしてみせるほどだ。

 邪魔をしたのにガッシュが機嫌を損ねていないことに安堵したのか、従者は手

にした盆をガッシュのすぐ横に置く。

「お食事食べられますか?」

「あぁ、いつも悪いな」

 修行中でも食べれるものを、との気遣いで作られたサンドイッチにガッシュは手

を伸ばす。

 そう言えば経は昼食を食べてから何も口にしていない。自分でも思っていたほど

 腹を空かせていたらしく、カップに注がれたスープと交互に次々と口に運んでゆ

く。

 そんなガッシュをしばらく目を細めて見ていた彼女だったが、ふと床に散らばっ

たままの札に気づいて一枚を手に取った。

 それはイスカの民が符術を使う際に用いられる札。ガッシュの練習用にとシャリ

アーズが大量に渡していたのを覚えている。

 イスカの符術はただ紙に字を書けばいいというものではない。

 先ほどまでガッシュがそうしていたように目を閉じ、心を落ち着けて指先に意識

を集中させていると、描けばよい紋様が『見えて』くるのだ。

 紋様は人によって様々な形をしており、どれもが同じとは限らない。その『見え

た』紋様を上から指でなぞるようにすれば紙の上に写りこみ、札が完成する。

 腕を磨けば磨くほど紋様が『見える』ようになる時間は短くなるし、熟練ともなると

目を閉じずとも軽く深呼吸をするだけで『見える』ようになるらしい。……それほど

の力を持っているのは、この里ではシャリアーズだけなのだが。

「勉強熱心なのですね、ガッシュ様は」

 ガッシュの足元に散らばった札。そのどれもが中途半端に紋様が描かれた状態

だ。紋様を書く途中で失敗してしまったのだろう。

 イスカの符術には不思議な力が秘められているらしい。

 らしい、と言うのは、この里に住む人間にとって符術は食事をするときに箸を使

うことと同じくらい身近なもので、使うことができるのが当たり前のものだからだ。

 この隠れ里で一生を過ごすことになるイスカの民には、ガッシュが来るまで外の

人間が符術を使えないということを知らない者も少なくはなかった。

「俺はイスカの民じゃないからな。使えるようになるのにそれなりの努力は覚悟し

ているさ」

 それなりの努力、とガッシュはさらりと言ってのけるが、実際はそんなに簡単なも

のではない。

 本来、イスカの符術はイスカの民だけに与えられた力。

 イスカの民は誰もが符術を扱える力を生まれつき持っているが、外部の人間も

そうだとは限らない。中にはどれだけ修行を積んでも符術を使えることのできない

人間もいるらしい。

 だがどうやらガッシュには僅かながらもその才能があったようだ。

 このイスカの里に来て早1ヶ月。シャリアーズの元で少しずつ実力をつけており、

まだ時間はかかるものの今では簡単な術も使えるようになっていた。

「……ガッシュ様。少しお聞きしてよろしいですか?」

「ん? なんだ?」

 サンドイッチの最後の一口を放り込み、ガッシュは彼女の方を見る。

 イスカの民には見られない陽に灼けた黒い肌に黒い髪。そして透き通るような

金の瞳に見つめられて一瞬ドキッとしてしまう。

「あ、あの、この里の暮らしには慣れましたか? 私は外の世界は知りませんが、

この里は外界とは全然違うと聞いているのでちょっと心配になりまして」

 頬が赤くなってしまったのを隠すように早口でまくし立てる。

 ガッシュはそんな彼女の変化には気づいているのかないのか、少しだけ首を傾

げさせた。

「アンタはここから出たことないのか?」

「はい。基本的にイスカの人間はここから出てはいけない決まりなので」

「でもシャリアーズは外に出てたよな?」

「シャリアーズ様は特別です。私達も時々は外界の情勢を知っておかなければい

けませんから」

 半年に一度ほど、シャリアーズだけはイスカの代表として外の世界に出ることを

許されていた。……そんな時に出会い、拾われたのがガッシュだった。

「……まぁ、そうだな。確かにこことあっちは全然違ってるよな……」

 そう。この隠れ里と外の世界は何もかもが違いすぎている。ここには太陽もなけ

れば月もなく、朝と夜の明確な区別もついていない。

 ふと無意識の内に窓の外に目をやる。

 その先に見えるのは空であるが空でない、決して手の届かぬ無限の空間。

「………………」

 この里に来てからの日々のことを思い出す。

 最初は誰もが敵意を込めた眼差しをガッシュに向けていた。それはガッシュ自

身も仕方がないことだと思っていたし、石を投げられたり刺されたりするわけでも

ないので大して気にはしていなかった。

 なのに今はどうだろう。里の人間が少しずつ心を許してくれているのが日に日に

わかる。里を歩けば笑顔を向けてくれる者もいれば、符術の極意とやらを教えてく

れる老人までいた。

 200年間世界から隔離されてしまった里。

 ここはある意味独立した国家だ。しかも、他国には決して侵略することのできな

い。

 戦争がなければ権力争いもない。誰かが誰かを差別することもなければ醜く他

人を罵ることもない。……いや、そんな必要がないのだ。

 幸か不幸か、エドナの民から迫害を受けてこの隠れ里に移り住んだことにより、

イスカの民は何者にも支配されることのない、どこよりも平和な世界を手に入れる

ことができたのだ。

「……そうだな。この里、俺は嫌いじゃないぜ」

「本当ですか?」

 それはガッシュの本音だった。自分の住んできた場所を肯定されて嬉しくない人

間などいない。従者の女はパッと顔を輝かせる。

 ……だが、そこでガッシュは僅かに表情を曇らせた。

「……………………」

 何かを言おうとして、やめる。

 開きかけた口を閉じ、軽く唇を噛んだ。

 ……やめよう。余計なことを言うのは。どうせこれを口にしたところで何かが変

わるわけではないのだから。

 ガッシュはそう自分自身に言い聞かせて従者から目を逸らす。嬉しそうに微笑

む彼女をこれ以上見ていられなかった。



 ……ガッシュは思うのだ。ここはどこよりも平和な世界だと。

 戦争もないし無意味に誰かが傷つけられることもない。ここではガッシュが鍛え

上げてきた斧槍の腕も微塵も役に立たない。



 悲鳴もなければ血の匂いを嗅ぐことも無い。ここは『楽園』と言っても差支えがな

いほどの場所。

 イスカの民は、迫害を受け故郷を追われた代わりに『楽園』を手に入れたのだ。


 ……そう、決して誰にも知られることのない、『殻の中に閉じ込められた楽園』

を。



 外の世界の誰からも存在を忘れられ、交流を断ち、殻の中に閉じこもって平穏

に生きてゆく。

 それが幸せなのか不幸なのか、ガッシュにはわからない。けれど――




『自ら殻を打ち割らねば、雛は決して孵ることは無い』――

『イスカの民が自分達から外の世界に出ることを望まねば、永遠にこの殻に閉じ

込められたまま……』――




 それだけが、ガッシュにもはっきりとわかっていることだった。





































イスカの符術ってどういう仕組みなのかイマイチよくわからないのですよね。
「符」ってくらいだから多分文字か何かが書かれてるのでしょうけど、ガッシュが戦闘で符術を使うときに筆を持ってる描写ないので(まぁ省くでしょうけど(笑))勝手に『指先でなぞるだけで書ける』ということにしました。えぇもう勝手に(笑

しかし従者さんの名前が欲しい…
ガッシュも従者さんには多少は優しく接してたと思うのですよね。一応世話になってただろうし、ゲーム中でも普通に喋ってたし。まぁシャリアーズに反抗しっぱなしだった反動ということで(笑

2010.1.23 UP

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