++ 新しい風 ++






 イスカの民の隠れ里――



 そこはアルタゴでありながらアルタゴではない、普通の人には訪れることすら出

来ない異空間に存在する里。



 月の民イスカは200年に滅んだとされている。

 海の民エドナからの迫害を受け、長を殺され住処を奪われたのだ。

 けれどそんな混乱の中、命からがら逃げ延びた民は僅かながら存在していた。

 彼らは体にも心にも深い傷を負い、長を失いながらも己に与えられた力を使

い、姿をくらますためにこの隠れ里を拓きそこで生きていくことを余儀なくされた。



 それから200年の月日が流れた。

 エドナの民はイスカの民が住んでいた場所に国を興し、今も尚繁栄を続けてい

るらしい。

 他の氏族達も五大竜を祀り、その加護を受けながら生活を送っていた。



 ……そして次第に人々から忘れられつつあるイスカの民は、今もこの隠れ里で

細々と暮らしている。







 イスカの里には長がいない。

 その長の代理として隠れ里を纏めておられるのがシャリアーズ様だ。

 私はそのシャリアーズ様の従者としてお仕えさせていただいている。

 身の回りのお世話は全て任されているし、シャリアーズ様が留守の時はこの隠

れ里のことも託されている。

 とても大変だがとても誇らしげな使命。

 ……けれど最近、その暮らしにほんの少しの変化があった。



 炊事洗濯も私に任された大切な仕事の一つ。

 今日も同じ時間に食事を作り終え、シャリアーズ様もいつものように居間に降り

てきてくださった。

「今日もありがとうございます。いただきます」

「はい」

 シャリアーズ様と向かい合って二人きりでの食事。

 それはもう何年も前から変わることなく繰り返されてきたこと。

 けど、今日はいつもと違うところが一つだけあった。

「……あの、シャリアーズ様」

「なんですか?」

「ガッシュ様はどうされたのですか?」

 そう。いつもと違うところ……一月ほど前からこの里で共に暮らすようになった青

年、ガッシュ様の姿が見当たらないのだ。

 ガッシュ様はシャリアーズ様からイスカの符術を教わるため、外の世界からこの

隠れ里にやって来た。

 最初は異邦人を里に招き入れることに里の人間は大反対で、ガッシュ様に無条

件に冷たく当たる者も多かった。

 ……正直を言えば、私も最初はガッシュ様を怖いと思っていた。

 私達はこの『隠れ里』という閉鎖された空間で生きてきたためか、それとも過去

のエドナの民から受けた迫害のせいなのか、どうしても外の世界に抵抗があった

のだ。

 けれどそんなガッシュ様も今は少しずつこの里に馴染んできている。

 口は悪いけれど、真面目に符術の訓練を受けている姿に少しずつ里の人間が

警戒を解き始めていた。

 そしてシャリアーズ様の従者である私には、ガッシュ様の世話も任されていた。

 とは言ってもガッシュ様は一人旅が慣れているせいか自分のことはほとんど自

分でしているため、私がすることと言えば食事を作って差し上げる程度なのだけ

れど。

 いつもは私とシャリアーズ様と二人だけの食卓が、ガッシュ様が来てからは随分

と賑やかになったような気がする。

 ガッシュ様は私達……いや、シャリアーズ様と一緒に食事をすることに強い拒否

感を示していたけれど、自分が符術を教わる身であるからか、反発していたのは

最初だけで今は特に文句も言わずに一緒に食事を摂っていた。

 なのに今日はそのガッシュ様の姿がない。確か先ほどまでシャリアーズ様と一

緒に符術の稽古をしていたはずだ。いつもならシャリアーズ様の後ろから姿を現

すはずなのにその姿が見られない。

 私の質問にシャリアーズ様はゆったりと微笑む。

「ガッシュでしたら放っておいて構いません」

「え?」

「まだ少し一人で修行をしていたいそうです。すみませんが、食事は後で部屋に運

んであげてくれませんか?」

「あ、はい。わかりました」

 ここのところ、シャリアーズ様はガッシュ様に付きっ切りで符術の稽古をつけて

おられていた。

 二人が一体どんな修行をつけているのか私はよく知らない。ただ、基本的にイ

スカの符術はイスカの民だけに与えられた力であり、外部の者がおいそれと使え

ることができないものだということは聞いている。

 だからガッシュ様が受けている修行は生半可なものではないだろうということだ

けは想像できたけれど……

「あ、あの、大丈夫なのでしょうか?」

 ガッシュ様がとても熱心に修行に取り組まれていることは私もよく知っている。そ

れこそ寝る間も食事の時間も惜しんで修行をしているほど。

 一体何が彼をそこまで揺り動かしているのか、それは私にもわからない。

 けれど、だからこそ心配なのだ。

 どうやらガッシュ様には符術の才能があったようだが、符術を使いこなせるよう

になるには練習あるのみ。

 焦るあまりに、もし体を壊しでもしたら……

 一瞬そんなことを思ってしまったのだけれど、そんな私にシャリアーズ様は穏や

かに微笑んだ。

「心配することはありませんよ。ガッシュは体だけは無駄に鍛えられていますから

ね。少々無理をしたところで死にはしません」

 そう言うシャリアーズ様の目は、どこか本当にこの状況を楽しんでおられるよう

にも見えた。

 シャリアーズ様はこう見えて教え好きだ。きっと内心は随分と教え甲斐のある、

勉強熱心な弟子の出現が嬉しくて堪らないのだろう。

「それより、最近はあなたへの修行を怠ってしまって申し訳ありません」

「いえ、私は構いません。一人でもできることはたくさんありますので」

 私の符術の腕もまだまだだ。以前はシャリアーズ様が時間を見つけては稽古を

つけてくれていたのだけれど、最近はその時間もほとんどない。

 けれど不思議とそのことに関してなんとも思わないのだ。

 確かに私も強くなりたいけれど、今はそれよりガッシュ様が強くなってゆくのを見

守っていきたかったから。

「………………」

 そんなことを思いながら私はふと顔を上げた。

 シャリアーズ様はイスカの民の長代理。

 私達はこの隠れ里から出ることはないけど、シャリアーズ様だけは時折外の世

界へ出て現在のアルタゴの情勢を仕入れてきてくれている。

 そんなシャリアーズ様がガッシュ様を連れて戻ってきたのは一月前。

 あの時は本当に驚いたし、弟子にする。しばらくこの里に住まわせると言われた

ときはシャリアーズ様の正気すら疑ったほどだ。

「……一つだけ伺っても構わないでしょうか」

「何ですか?」

「シャリアーズ様は、どうしてガッシュ様に符術を教えようと思われたのですか?」

 それはこの隠れ里に住む者が一ヶ月ずっと思って、だけど聞けないでいたこと。

 シャリアーズ様の決めたことだからこの選択が間違っていないということだけは

わかる。

 それでもやはり疑問に思う。どうして突然、200年もの間守られていた暗黙の了

解を破ったのか。

「そうですね……」

 私の問いかけにシャリアーズ様は静かに目を伏せる。

「……きっと、ガッシュならこの隠れ里に新しい風を吹き込んでくれると思ったから

でしょうね」

「風……?」

「えぇ」

 ゆっくりと目を開けてシャリアーズ様は私を見る。

「私達がいつまでもこの隠れ里にいることができるとは限りません。……今のうち

に少しずつでも、外の空気を受け入れていった方がいいと思ったのです」

「え?」

「私達もれっきとしたアルタゴの大地に生きる民の一人です。……いつかあちらの

世界へ帰らねばならない日が来る。そう思えてならないのですよ」

「………………」

 唐突なシャリアーズ様の言葉に私は何と返せばいいのかわからなかった。

 私は隠れ里で生まれ、隠れ里で育った。

 私だけではない。シャリアーズ様も、他の里人にとってもそれは同じだ。

 この里が私達にとっての『故郷』であり『アルタゴ』だ。

 今更外の世界に出たいだなんて思ったこともないし、そんな日が来るなど考えた

こともない。

 ……けれど。

「おかしなことを言いましたね。すみません、忘れてください」

「……はい……」

 けれどシャリアーズ様は決して適当なことは言わない方だ。

 もしかしたら、前回外の世界に出て行かれたときにいつもとは違う何かを感じ

取ったのかもしれない。





 その後、私はこの日のシャリアーズ様の言葉が正しかったのだと理解する時が

来るのだが……





 それはまた、これから二年後の話になる。


























しかし従者さんってオイシイですよね。
一時期『両手にガッシュとシャリアーズ』ですよ!うらやましい!代われ!!(笑

2010.1.23 UP

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