++ 闇の夢 ++




夢を見た。

どこまでも続く漆黒の闇。

その暗く、深いところへただ沈みゆく夢。

どれだけ足掻いてもその場から逃れられない。

むしろ足掻けば足掻くほどずぶずぶと底なし沼に引きずり込まれるような感覚。

自分の体が闇に飲み込まれてゆく。

足を、腕を、蠢く何かが絡めとり、身動きをとることができない。振り払おうとする

が、それらはまるで意思を持っているかのように無数に枝分かれして絡みつき、

こちらの動きを封じてゆく。

逃げ出したくて、助けを求めるため何かを叫んだ。

けれどそれは声にならない。

いや、もしかしたらきちんと声になっていたのかもしれない。だが、その叫びはす

ぐに掻き消えてしまう。

そして自分自身の体でさえも、闇に飲まれてしまい…………



闇に飲まれる……?



いや違う。

飲まれてなどいない。

むしろ、受け入れられているのだ。


……だって、自分は闇に魅入られた一族の末裔なのだから……





(…………シュ……)

その時、声が聞こえたような気がした。

もうすでに抗う力など残されていない。ただただ己の体が闇に染まりゆくのを待つ

しかない耳に届いた声。

顔を上げると、翼が見えた。

光すら忘れてしまうほどの闇の中、この闇よりも昏い色をした翼が。

その翼が大きく広げられ、自分を包み込む。

……まるで、逃さないと言わんばかりに。

(……ガッシュ……)

耳元で誰かが名を呼んだ。

それは先ほども聞こえた、とても聞き慣れた声。

……けれど、もう二度と聞くことができないはずの声。

自分の…………兄の声。

(兄貴…………)

思わず呟いた声は今度ははっきりと耳に届く。

すると先ほどよりもはっきりと兄の気配を間近に感じるようになる。

自分と同じ色をした髪も、瞳も。日に焼けぬ白い肌も、細い指先も、その全てが脳

裏に蘇る。

一瞬にして全身の血の気が引いていくのがわかった。

(……ガッシュ……)

それでも尚、声は耳元に響く。

ガッシュを、縛り付けるように。

……ガッシュを、責めるように。

(何故、私を見殺しにした?)



















「っ!!」

目が覚めて、ガッシュは飛び起きた。

額から流れた汗が頬を伝い、何度か瞬きをさせる。あれが夢だと気づくのにしば

らく時間がかかった。

「……夢……」

呟いたのは、自分に言い聞かせたかったから。

あれは夢だ。そう言い聞かせて安堵したかったから。

酷く汗を掻いているし全身も熱を帯びたように火照っている。それなのに無意識

の内に手を当てた額は氷のように冷え切っていた。

「…………はぁ……」

大きく息を吸い、吐く。

それだけで随分と落ち着くことができた。

「……ガッシュ」

「!!」

唐突に名を呼ばれて、ガッシュは文字通り飛び跳ねてしまいそうになる。

高鳴る心臓をどうにか堪えて隣を見ると、暗闇の中でも映える赤毛が目に映っ

た。

「……なんだ、アドルか……」

思わず安堵の息を吐きだす。

「ごめん。驚かせる気はなかったんだけど……なんだか、うなされてたみたいだか

ら」

申し訳なさそうな顔で言われて、思い出す。

……そうだ。ここはアルタゴ市にある宿屋。仲間達と何室かに別れて休むことにな

り、自分はアドルと同室になっていたのだった。

「……いや、俺の方こそ起こして悪かった」

まだ体が熱いし頭痛までしはじめてきた。

なんとか平静を装うとするが、自分でも思っている以上に疲れた顔をしていたらし

い。アドルは引き下がることはなかった。

「大丈夫かい? なんなら妖精たちを呼んでこようか?」

妖精たち……ユエとキサ、セラは今日はアイシャとマイシェラと一緒に眠ることに

したためこの部屋にはいない。

自分よりガッシュのことをよく知っている彼女達が側にいたほうが安心するかもし

れない。アドルはそう思って提案したのだが、ガッシュは力なく首を横に振る。

「呼ばなくていい。……いつものことだ。余計なことはしないでくれ」

大きなため息をつきながらぶっきらぼうに吐き出す。

余計なことはするな。

粗雑な言動を取っているがアドルにはわかる。ただガッシュは妖精たちに迷惑を

かけたくないだけなのだ。

その証拠に、先ほどのガッシュの言葉に引っかかる部分があった。

「……いつものこと?」

「………………」

「いつも、うなされる夢を見ているのかい?」

自分達と再会するまで妖精たちはいつもガッシュと一緒にいた。本当に『いつもの

こと』なら、彼女達もこのガッシュの様子を知っているはずだ。

だからこそ、余計なことはしてほしくないと……ガッシュはそう思っているのだ。な

ぜならば……

「……もう気づいているんだろう? ずっとうわ言のように言っていたよ」

「………………」

そこまで言ってもガッシュは無言だった。

その先を言うな。そう言われたような気もしたが、ほんの少しだけ迷った後アドル

は口を開く。

「……『兄貴』、って。ずっとそう言っていた」

「………………」

これ以上誤魔化せないのはわかっていた。アドルは半年前のことを知っている。

気にするなと言ってもこのお人好しのことだ。はいそうですか、と素直に聞くはず

がない。

「あんたには関係ないことだ。ほっといてくれ」

ガッシュはまだ痛む頭を押さえる。本当なら無視をして眠ったフリでもすればいい

のだが、目を瞑るだけで先ほどの夢が蘇るような気がしてそれもできない。

いつもならこんな時は適当に酒を煽ることにしている。

妖精たちはガッシュのことを心配しながらも、邪険に追い払えば決して深追いはし

てこなかった。

……彼女たちはエルンスト亡き今、ガッシュしか縋れる者がいない。だからガッ

シュの言うことには決して逆らわない。それを逆手にとっての行為で我ながら最低

だといつも自己嫌悪に駆られる。

けれど今ここにいるのは「超」がつくほどのお人よし。この程度で引き下がるわけ

がない。

「……確かに僕には関係ないことかもしれない。でも、何か力になれるかもしれな

いだろう」

「………………」

きっとアドルなら恐らくそう返すだろうな、と想像していたガッシュは口元に笑みを

浮かべた。……それはとても自嘲じみた笑み。

「……いや、アンタには何もできないね。むしろ俺はこの状況を受け入れてるん

だ」

「受け入れてる……?」

「あぁ」

俯いたままガッシュはベッドのシーツを握り締める力を強くする。

今は顔を上げることができない。すぐ隣にいるあまりにも素直すぎる男の顔を直

視する勇気がない。

「……これは、俺に与えられた罰だ」

……半年前のカナン諸島。

そこはガッシュが初めてアドルと出会った場所でもある。

その島でガッシュはたった一人の兄を亡くした。

……いや、正確に言えば、自分自身の手で兄を葬るためにカナン諸島に向かっ

たのだ。

結局自分の手で兄の息の根を止めることはなかったものの、ガッシュは兄を見殺

しにした。

……そう。見殺しに。

自分があまりにも無知だったせいで、兄をみすみす死なせてしまったのだ。

「俺が兄貴を殺したんだ。だから、受け入れなければならない」

「………………」

いつになく強い口調で言い切ると、アドルは無言になってしまう。

こんな風にしか考えられないガッシュに対して怒っているのだろうか、呆れている

のだろうか、それとも哀れんでいるのだろうか……

一旦、アドルが軽く息をつく音が聞こえた。だが、次いで返ってきた声は意外にも

落ち着いたものだった。

「……今の状況に耐えることが、エルンストに対する罪滅ぼしだとでも言うのか

い?」

「………………」

「ボクはエルンストのことはよく知らないけど……でも、これだけはわかる。きっと

彼はそんなことを望んでいない」

それはきっと彼からすれば本心なのだろう。アドルは尚も続ける。

「確かに彼は過ちを犯した。けれど悔いが残っているようには見えなかった。だっ

て、エルンストはあんなに安らかな顔をしてたじゃないか。キミを恨んでいないこと

は、キミ自身が一番よくわかっているだろ?」

所詮夢は夢。現実ではない。

あれでも血の繋がった兄だ。子供の頃はケンカだってしたが、基本的には仲の良

い兄弟だったと思っている。ただ少し意見が食い違い、歯車がかみ合わなかった

だけ。

…………それでも。

「でも、俺は自分で自分が許せないんだ」

そう。結局一番腹が立つのは何も知らずにいた自分自身。

「俺のせいだ。俺は兄貴の真意に気づけなかった。誰よりも兄貴のことを知ってい

るような顔をしていながら、俺は兄貴のことなんて何も知らなかったんだ」

どうしてだろう。一度口を開いてしまうと次から次へと言葉が出てきてしまう。

今まで誰かに弱音など吐いたことがない。しかも、こんなお人よしなんかに。

そう思ったけれどもうガッシュは自分でも自分を止めることができなかった。全て

を吐き出して、いっそ楽になってしまいたかった。

「教えてくれ。どうして俺が生きているんだ? どうして兄貴じゃなくて俺なんだ。兄

貴がいなくなるくらいなら、俺が」

「ガッシュ!」

貫くようなアドルの叫び声がガッシュの言葉を遮る。その声に我に返ったように

ガッシュは目を見開いた。

「……その先はダメだ。先を言ってしまったら、彼女たちは悲しむよ?」

言って、アドルはガッシュから目を逸らす。

その視線は部屋のドアの方に向けられており、ガッシュも釣られるようにそちらに

目をやった。

「……お前ら……」

一体いつからいたのだろう。ユエ、セラ、キサが静かに佇んでいた。

「………………」

いつも気の強いユエは無言のまましゅんと項垂れ、

「すみません……声が、聞こえてきたので……」

従順に仕えてくれているセラも、

「立ち聞きする気はなかったのですけど……ガッシュ様が、心配で……」

キサでさえも、遠慮をするようにこちらの様子を伺い見ている。

エルンストのことは妖精たちの前ではあまり触れないようにしている。

彼女たちは当初、エルンストの最後の命令だからとガッシュについてきていた。

決して仲が悪いわけではないが、その間には埋めることのできない溝のようなも

のができていた。

……そう言えば、その関係が変わったきっかけはこの夢だったような気もする。

カナン諸島を出て10日ほど経った日、初めて兄の夢を見た。

今日と同じような夢を見て、同じようにうなされて、兄の名を呻きながら目を覚まし

た。

その時は妖精たちが心配そうな顔をしていたが……その次の日からだ。3人の様

子が少しずつ変わり、今のような関係が築かれていった。

恐らく3人もこう思ったのだろう。

『ガッシュがあんな夢を見ているのは、自分達がいつまでもエルンストの幻影を追

い求めているせいではないのか』と。

「…………悪い」

無意識の内に謝罪の言葉が口をつく。

それはエルンストのことに対してか、先ほどの言葉に対してかはガッシュにもよく

わからない。けれど謝らなければならなかった。今の自分は、この妖精たちの主

なのだから。

「大丈夫だよ、気にしてないから」

「そうです。ガッシュ様がお元気でおられることが、私達の幸せです」

「……けれど、私達もガッシュ様の痛みを共有したいと思います。何もかもを一人

で抱え込まないでください」

3人が思い思いの言葉を口にしながらガッシュの周りを浮遊する。そこにはもう穏

やかな笑みが浮かべられていて、たったそれだけのことで少しだけ肩が軽くなっ

たような気がした。

……そうだ。自分はいつも彼女達に助けられていた。

大丈夫。これからも様々な困難が待ち受けているだろうが、きっと乗り越えられ

る。

「……アドルも、当たったりして悪かった」

「いいよ。ボクなんかが捌け口になれるならいつでも付き合うから」

やっと顔を上げることができたのでアドルのほうを見ると、アドルはいつものように

屈託のない笑顔を見せていた。

……本当に、この男は一体どこまでお人よしなのだ。

いつもと変わらぬアドルの様子に今はどうしてか妙におかしく思え、ふと笑みが漏

れた。

しばらくはあの夢に悩まされなくても済むと、そう思いながら。





























本当はガッシュとマイシェラのSSを書いてたのですが、
ちょっと展開的にこっちを先に載せたかったので。

実際のガッシュはエルンストのことに関しては完全に吹っ切れてるようですけど、
(前作の話題を引きずれないから描かれなかっただけかもしれませんが)
こういうシーンがあったら面白かったなぁ、と。恐らく楽しいのは私だけでしょうが(笑

2009.10.10 UP

戻る

inserted by FC2 system