太陽と出会った日

『新入生の中にヴァンダール家の人間がいる』という噂は入学前から聞いていた。
 ヴァンダール家というのは、このエレボニア帝国が建国された当時から代々皇族に仕え、守護している武に長けた一族で、エレボニアで武術を齧ったことのある人間なら誰もが知っている名だ。
 そして噂の種となっている少年の名はミュラー・ヴァンダール。
 現ヴァンダール家当主の息子で、この度めでたくドライケルス大帝の設立した『トールズ士官学院』に入学することになったらしい。
 入学式の場、ナイトハルトは一目見てすぐに、自分の隣に立っている彼が噂の『ヴァンダール家の人間』だということがわかった。
 堂々とした、けれど凛とした佇まいは一切の隙がなく、制服の上からでもわかるほど引き締まった体躯には無駄な脂肪だけでなく余計な筋肉もない。洗練された訓練を受けていると、それなりに武術を学んできたナイトハルトにもすぐに判断できた。
 著名な軍人も多く輩出しているヴァンダール家はナイトハルトも密かに憧れており、その憧れの家の出身である当人が目の前にいるものだから、緊張した面持ちを更に強張らせて全身がカチンコチンになった状態で入学式に挑んでいた。
 生徒の誰もが新しい門出に緊張している中、こういう場は慣れているのかヴァンダール家の少年だけは先ほどから涼しい表情を少しも崩していない。
 同い年なのに何もかもが違う堂々とした姿に見蕩れてしまう。この彼ともこれから共に勉学を学ぶのかと心を躍らせつつ、入学式に向かうために講堂への扉を潜る。
 その時だった。
 一際目を引く、金髪の少年が目に入ったのは。
 そこにいたのは家族用に用意された椅子に座っている深紅のコートを纏った一人の少年。陽光のように明るい金の髪を持ち、その場でジャンプなんかもしてみせており、満面の笑顔で新入生たちの方に向かって両手を振っていた。あの席に座っているということは誰かの家族なのだろうが、はっきり言って目立つことこの上ない。もちろん、悪い意味で。生徒からも我が子の晴れ姿を見に来た家族たちの周りからもクスクスと笑い声が漏れている。
 大声を出したり式の場に乱入をして妨害をしているわけではないが、なにぶん体が小さいからかオーバーリアクションなので本当に目立っている。
 あぁ、よかった。アレが自分の家族じゃなくて。これであの家族の家の人間は『ほら、入学式の時に目立ってた子供の……』と後ろ指を指されることは間違いないだろう。
 一体誰だろう。入学早々そんな可哀相な目に合うことが決まったヤツは。
 多少の哀れみを含めてナイトハルトは失礼にならない程度に辺りを見回そうとして……すぐに止まった。
 ナイトハルトの目の前にいる少年。例の『ヴァンダール家の人間』が、先ほどまでの涼やかな表情はどこへやら、金髪の少年を目にして口をぽかんと開けたまま固まってしまっていたからだ。
 しばらく何かを探すようにあちこちをさ迷わせていた金髪の少年の目がこちらを見る。すると、目当ての物を見つけたようにパッと目を輝かせ、それはそれは嬉しそうに、文句のつけようのないはちきれんばかりの笑顔で、腕が抜けてしまうのではないかと心配になるほど思い切りぶんぶんと手を振ってきた。
『ミ・ュ・ラ・ー♪』
 口をパクパクさせてナイトハルトの前にいる男の名を呼ぶ。ナイトハルトは驚いて金髪の少年とヴァンダールの少年……ミュラーを交互に見やる。
 …………え? まさか??
 目の前の堅物そうな少年と、家族席の陽気な少年を何度も何度も見る。けれど間違いなく金髪の少年はミュラーに向けて笑みを振りまいており、真っ青な顔をさせているミュラーの様子から二人が他人ではないことが窺える。
 結局入学式が終わるまで、金髪の少年はやけに目立ったままだった。
 けれども何故だろうか。ナイトハルトを始め、その場にいる誰もがその少年のことを鬱陶しいなどとは思わなかったのだ。
 こういう粛々とした場では静かにすることを好むナイトハルトでさえ、その少年のはしゃぎようを見ていると微笑ましく思えたのだ。
 まるでそうするのが当然のような、少年の放つ独特で不思議な雰囲気にその場にいる誰もが呑まれているように見えた。
 ……ミュラーだけは、最後まで顔を赤くさせたり青くさせたりしたままだったけれど。
 入学式が終わり、生徒たちは自分たちの教室へと戻ってゆく。けれどミュラーは椅子に座ったまま膝に置いた手を強く握り締め、わなわなと震わせながらその場から立ち上がることができないでいた。
 隣に座っていたナイトハルトも彼の雰囲気に気圧されるように立ち上がることができない。生徒のほとんどが立ち去ってしまった中、横目でちらりと見ながらゆっくりと立ち上がろうと声を掛ける。
「……お、おい。早く行かないと教官に目をつけられるぞ?」
「………………」
 けれどミュラーは立ち上がろうとしない。静かな怒りが沸々と湧いているのが見て取れた。
「ミューーーーラーーーーアーーーー♪」
 そんな講堂内に響き渡ったのは、この場にそぐわないほど間の抜けた声。見ると先ほどまで目立ちまくっていた金髪の少年が、周囲に色とりどりの花を撒き散らすようにこちらに向かって全速力で駆けてくるところだった。
「ミュラー♪ 入学おめでとうっ♪」
 まだ声変わりもしていない愛らしい声で、突進するように椅子に座ったままのミュラーに抱きつく。
 傍から見れば弟が兄に甘えるような微笑ましい光景。……けれど抱きつかれたほうは未だわなわなと体を震わせている。
「……誰が来てもいいと言った?」
 地の底から響くような、怒気を帯びた声。それはナイトハルトですら一瞬冷や汗を流してしまうほどのものだったが、金髪の少年は花の咲くような笑みを崩さない。
「ん? ボクが来たいと思ったから来たんだよ? 別に誰の許可も必要ないじゃないか」
「必要だから聞いているんだろう! 何故勝手について来たんだ!」
 どこかちぐはぐなやり取りをしていた二人だが、ついにミュラーの方が痺れを切らしたのか怒鳴り散らしながら立ち上がる。けれど金髪の少年は慣れているのか抱きつく腕の力を緩めないまま、涼やかな顔で怒った顔を見上げている。
「もうちょっと自覚を持て! お前は、自分が一人で外を出歩くことの意味を本当にわかっているのか!」
「もー、ミュラーってば心配性なんだからー。ボク、一人でトリスタに来れないほど子供じゃないよ?」
 えっへん、と少しだけ偉そうに胸を張る少年にミュラーの拳がわなわなと震えている。
 あまりにも対照的な二人のやり取りを見て、ナイトハルトは首を傾げさせてしまう。
「……ちょっと過保護すぎやしないか?」
「え?」
「は?」
 気がつけば思わず口を挟んでしまっていた。青い瞳と紫紺の瞳が同時にナイトハルトを見る。
 喜びに満ちた瞳と怒りに染まった目に挟み込まれ、反射的にたじろんでしまう、
「あ、い、いや、余計なことを言って済まない。けど、別にもう一人で出歩いてもおかしくない年頃に見えたものだから……」
 この少年が何歳なのかはわからない。けれど見た感じ、ナイトハルトより2、3歳年下な程度に見えた。恐らく帝都から来たのだろうが、帝国の主な交通手段は電車だし、帝都とここトリスタは然程離れていない。むしろ子供が一人で移動するのを練習するにはちょうどいい距離だ。
「そうだよねぇ! キミもそう思うよねぇ! ホント、ミュラーは過保護すぎるんだよ!」
 これ幸いとパアアッと明るい笑みを浮かべながら金髪の少年はナイトハルトに同意する。ミュラーはそこで始めてナイトハルトがまだ隣にいたのに気づいたのか、渋い顔をさせる。
「いや、俺だって怒りたくて怒ってるんじゃない。それにオリビエが……」
「ミュラー」
 何かを言おうとした少年の言葉を、金髪の少年の言葉が遮る。
 先ほどまでの子供らしい軽やかな声とは違う、どこか大人びた静かな声。一瞬にしてミュラーは開きかけた口を噤んだ。
 ……何を言おうとしたのだろうか。二人のやり取りに首を傾げかけたナイトハルトだったが、その前に金髪の少年が抱きついていた手を放し、ナイトハルトの前で優雅に一礼をする。
「はじめまして。ボクの名前はオリビエ。ミュラーお兄ちゃんの可愛い可愛い弟です♪」
「誰が弟だ誰が!」
 金髪の少年……オリビエの言葉は、ミュラーに即座に思い切り一刀両断に否定される。
 まぁ言われてみれば顔も髪も体型も何もかもが微塵も似ておらず、この二人の間には血縁要素が一切感じられない。
 それにミュラーは見るからに武人の家系の生まれだろうが、オリビエには武人らしさは見受けられない。それより黙っていれば愛らしい容姿と振る舞いといい、どこか気品を感じさせる動作といい、むしろ育ちの良さを窺わせる。恐らくどこかの貴族の子息なのだろう。
 けれど、身に着けている赤いコートだけはどうかと思った。根っからの庶民生まれのナイトハルトだって、このエレボニアでは『紅』は皇族の色だと知っている。ワンポイントで使うことはあっても、ここまで全面的に赤い色を主張する衣装は身に着けないのが暗黙の了解だ。それなのに何故、と軽い憤りを感じるが、こんな子供に言っても無駄だし大人気ないので抑えることにする。
「兄弟じゃないのか?」
「当然だ。コレが弟だなんて吐き気がする」
「コレだなんて酷い言い方だなぁ。ボク泣いちゃうよ?」
「この程度で泣くのなら可愛いものだろう」
 台詞だけを聞くと本当に酷い言い草だが、オリビエは楽しそうにケラケラと笑っている。
「くだらないことを言うなオリビエ」
「ブーブー。別に外で言うくらいいいじゃないかー。ずっと一緒なんだし兄弟みたいなものじゃない」
 兄弟ではないらしいが、二人の間には親密な空気が漂っている。それこそこの数年で築かれたようなものではなく、二人の付き合いがずっともっと長いことを示していた。
 それでも二人の関係性が未だわからず、ただオリビエとミュラーを交互に見やることしかできなかったナイトハルトに、オリビエは「んーと」と首を傾げさせながら続ける。
「幼なじみ、ってヤツ? ミュラーの家とボクの家が近所なんだ。だからずっと一緒だったの」
「まぁ……そんなものだな」
 多少歯切れは悪いが今度はミュラーも同意する。
 しかし、そんなことよりも、と言いたげに一つ咳払いをして改めてオリビエを見た。
「オリビエ、もう入学式も終わったんだからとっとと帰れ」
「えー、イヤだよ。今日はミュラーと一緒に帰るの」
 しっしっ、とまるで虫を追い払おうとするかのような手振りのミュラーの腕に、器用に自分の腕をするりと絡ませる。そのあまりにも手馴れた手つきに逆に関心してしまうほどだ。
「校門で待ってるから、終わったら迎えに来てね♪」
「阿呆が。まだ目立ち足りないのか」
 心底うんざりしたようにミュラーは額を押さえる。
 ……確かに、この少年を校門に一人きりにしておけば、帰ろうとする保護者や生徒たちにいちいち話しかけたりその場で踊ったりするような姿が一瞬にして思い浮かべられてしまう。ただでさえミュラーは入学式の短い時間の間にヴァンダールの名とはまったく違う意味で学院中の有名人になってしまった。これ以上は何としても避けたいところだろう。
「……オリビエ。頼むから一つくらいオレの言うことを聞いてくれ」
 怒っているのではない、ほとほと困り果てた物言いに、そこで始めてオリビエも笑みを消して少々考え込むような素振りを見せる。どうやらミュラーを困らせることに喜びを感じているようだが、そこまで本気で困らせようとは思っていないのだろう。これ以上は得策ではないと思っているようだ。
 けれど、何かを考えようとしたところですぐに顔を上げる。
「……でもさ、ボク一人で帰ってもいいの?」
「………………」
 腕を絡ませたまま小首を傾げさせるオリビエとミュラーの視線が交わる。途端にミュラーは渋い顔をさせながら目を逸らした。
 オリビエが一人で帝都に戻る間のことを心配しているのだろうか。いくら列車に乗るとはいえ、帝都までほんの30分ほど。その距離さえ一人にさせることが気になるのなら、やはり傍から見れば過保護でしかない。
「ね、やっぱりダメでしょう? じゃ、校門で待ってるからね」
「……いや、校門はダメだ。お前を一人で置いてはいけない」
「じゃあ教室までついていけばいい?」
「そういうわけにはいかないだろう。せめて廊下で待ってろ」
 矢継ぎ早に出される提案の一つ一つにミュラーはため息をつく。
「……やっぱり過保護だぞ、お前」
 漫才なのかよくわからないやり取りにナイトハルトはすっかり呆れ返り、頭に浮かんだ言葉を思わず口に出してしまう。
 ミュラーはハッとしたようにナイトハルトを見て、けれど反論はせず少しだけ頬を染めて気まずそうにそっぽを向いた。今回は言い訳ができないという自覚があるのだろう。
「……それではその御子は、こちらで預かっておこう」
 子供三人で押し問答をしている中、低い男性の声が割って入った。三人が揃って弾かれたように声の聞こえた方を振り返ると、そこには初老の男性が立っていた。
「ヴァンダイク教官……」
 あの教官をナイトハルトは知っている。ほんの数年前まで偉大な帝国軍人として名を馳せており、引退した今はこのトールズ士官学院で教鞭を振るっているヴァンダイクその人だ。ナイトハルトがこの学院を目指した理由の一つがこの憧れの元軍人が在籍しているからというものがある。
「あ、お久しぶりですヴァンダイク殿」
「お久しぶりですな、えーと……オリビエ君、でよろしかったですかな?」
「ええ」
 にこやかに微笑みあうオリビエとヴァンダイク教官を、ナイトハルトはきょとんと見やる。
「知り合い……なのか?」
 子供と隠居した元帝国軍人。一見繋がりはないように見える。しかし二人の会話は付き合いが決して浅くない雰囲気をかもし出していた。
「あ、あぁ。……えっと、俺の叔父上が軍人だから、その関係で、ちょっとな」
 それならミュラーとヴァンダイク教官が知り合いならわかるが、何故ただの幼馴染であるこの少年が? 疑問に思ったが、所詮ナイトハルトと彼はまだ出会って小一時間ほどしか経ってないほぼ他人同士。そこまで追及する気にはなれない。
「ミュラー君。オリビエ君は私の方で預かっておこう。キミ達は早く教室へ行きなさい」
「申し訳ございません、教官。……ご迷惑をおかけいたします」
 ミュラーが頭を下げると、ヴァンダイクは気にしてないと言いたそうに朗らかに笑う。この人の良さそうな笑みを浮かべている人物が、本当に帝国軍で噂の百戦錬磨の達人と言われた軍人・ヴァンダイクなのだろうか。想像とのあまりの違いにナイトハルトは少しだけ呆気に取られた。
「……オリビエ、おとなしくしているんだぞ」
「大丈夫だって。ボクがキミに迷惑をかけたことがある?」
「今この場でかけられているがな」
 ミュラーの嫌味にもオリビエは舌をぺろりと出しておどけてみせるだけ。ミュラーもこれ以上は時間の無駄だと判断したのか、ため息を一つ吐いてみせるだけで、次いでナイトハルトのほうを見た。
「教室に急ごう。……なんだか巻き込んでしまったようで申し訳ない」
「あ、いや、俺は気にしてないが」
「ごめんねー。あ、そう言えばまだ名前聞いてなかったね」
「……ナイトハルト、だ」
「うん。ナイトハルト君。ボクのミュラーをよろしく。仲良くしてあげてね」
「お前が言うな!」
 最後までオリビエをどやしながら、ミュラーとナイトハルトは講堂を後にする。当然だがもう他の生徒は皆教室に戻ってしまっており、残されたのはミュラーとナイトハルトの二人だけだ。
「……面白い子だな」
「ん?」
 ナイトハルトがちらりと後ろを振り返ると、オリビエはこちらに向かって『いってらっしゃい〜』と手を振っている。
 なんというか、笑顔で見送られることに悪い気はしない。
「ああいう子と一緒にいたら毎日が飽きないだろう?」
 純粋にオリビエと接してみた感想を述べるとミュラーは苦々しい笑みを浮かべる。
「……まぁ、それは否定しないな」
 この二人は幼馴染だと言っていた。オリビエの懐き具合、そしてミュラーのあしらい方の慣れた様子から、本当に幼い頃から一緒にいたのであろうことが伺える。
「……でも少し羨ましいかも」
 オリビエの笑顔を思い出し、ぽつりと呟く。途端にミュラーは怪訝そうに眉根を寄せさせた。
「羨ましい? どこがだ?」
 その顔には今まで掛けられたであろう苦労があまりにもありありと浮かべられており、やはりナイトハルトは苦笑しつつも少しだけ羨望してしまう。
「いや、悪い。俺は一人っ子だし、あんなに無邪気に懐いてくれるような年下の友人もいないからな。……なんというか、『弟』ってのは本当にあんな感じなんだろうな、って思っただけだ」
 確かにオリビエは図々しいところがある。けれども、こんなにも慕ってくれる相手がいる、という部分だけを見ると素直に羨ましく思うのだ。
 背後を振り返るナイトハルトに、ミュラーは小さく鼻で笑う。
「そんなに羨ましいならアイツを一ヶ月ほど貸してやろうか?」
「いや、それは遠慮する」
「だろうな」
 即答され、今度こそミュラーはおかしそうに笑う。オリビエの前では『兄』だった顔が、年相応の子供らしい笑みを見せた。
「ところで、えっと……ヴァンダールは、」
「ミュラーでいい」
「……ミュラーの実家は、皇族に仕えている家系なんだよな?」
「? ああ」
 唐突に話題を変えられ、ミュラーは不思議そうにナイトハルトを見る。
 噂に聞く皇族の守護者であるヴァンダール家の人間。彼らの一族は、この帝国を支えている皇帝陛下を誰よりも近くで支えてきたらしい。
「ということは、ミュラーもいつかは皇族の者にお仕えするのか?」
 ミュラーはヴァンダール本家の出身だと聞いている。本家の人間、ということは次期皇帝陛下の側近になる可能性が一番高いということだ。
 皇帝陛下などもちろん会ったこともないけれど、ナイトハルトからすれば雲の上の存在にも近しい人物だ。きっとミュラーはお会いしたことがあるのだろう。ミーハーだと思われるかもしれないが、やはり帝国民としては気になるところだった。
「今って、確か皇后陛下が妊娠されていたよな。今年生まれる予定じゃなかったっけ。それなら、お前はその生まれてくる子供の」
「それはない」
 抑揚のついたナイトハルトの言葉を、ミュラーの声がピシャリと遮る。
 余りにも断定的な物言いにぽかんとしてしまうが、ミュラーは真剣な眼差しでまっすぐにナイトハルトを見る。
「それだけは、絶対にない」
 一言一言を区切りながら、自分自身で確かめるようにもう一度同じ言葉を呟く。
 ナイトハルトを真正面から見据える一切の曇りのないその目は、すでに生涯仕えることを決めた主を持つ者の目。
 けれどヴァンダールの人間が皇族以外に仕える存在などいるはずがない。では、ミュラーは何故絶対にない、などと言い切れるのだ?
 けれど、まだ幼いながらも決意に満ちたミュラーの瞳に見つめられて誰がそんな野暮なことを聞き返すことができるだろう。それがナイトハルトにもわかったからこそ、それ以上何も言うことができなかった。というより、ミュラーの言葉通りなのだな、とすんなりと受け止めることができた。
 ミュラーはナイトハルトが何も聞き返してこないことを確認し、再び歩き出す。ナイトハルトはそんなミュラーの後をついていくことしかできなかった。



 結局その後、遅れて教室に入った二人は一気に注目を浴び、『入学式初日から遅刻した不良一歩手前生徒』のレッテルを貼られてしまい、担当教員からしこたま説教を受けていた。
「……悪いな、本当に巻き込んで……」
 説教を受けた教員室からの帰り道、二人でぐったりとしながら帰路へと付こうとする。ミュラーは説教で疲れた、というよりナイトハルトを巻き込んで申し訳ないと思っている風だった。だから慌てて首を振る。
「いや、この程度、なんてことはないから気にするなよ」
 実際ナイトハルトもそんなに深くは考えていなかった。確かに初日から教員に目を付けられたのは痛いかもしれないが、基本的にナイトハルトは自分で言うのも何だが品行方正だ。これからの自分を見てもらえば誤った認識はすぐに正されると信じていた。
「……それより、早く行ってやらないとまずいんじゃないか?」
 今日は入学初日なので授業はない。自己紹介と、今後の簡単な説明を受けただけだ。
 説教のため残ったナイトハルト達とは違い、もう他の新入生はほとんど帰ってしまっている。だからナイトハルトの中には一つの懸念があった。
「……何がだ?」
 しかしミュラーは何のことかわからないと言いたそうに首を傾げさせる。ナイトハルトは苦笑した。
「いや、オリビエだよ。ずっと待ってるんじゃ……」
「ミュラァァァァァァァァァァァ!!」
 その名を口にした瞬間、廊下の奥から甲高い声がした。
 他の教員や在校生達の注目を一気に浴びながらミュラー達に向かって廊下を一目散に駆けてきたのは、金髪と赤いコートを翻させている目映い笑顔の愛らしい少年だ。
 ……ナイトハルトは、一瞬にしてミュラーの顔が強張ったのを確認した。
 けれどオリビエは微塵も意に介した様子を見せず、ボディブローを食らわせるのかと思うほどの勢いでがっしりとミュラーに抱きついてきた。
「遅かったねミュラー。ボクもう待ちくたびれちゃったよ。これはキミにお詫びの印として購買部で何か買ってもらわなきゃいけないよね。ボクのオススメはアイスを一つ買って、二人で一緒に食べることなんだけどどうかなぁ?」
 ニッコニコと、この上ないほど上機嫌な笑顔でオリビエはミュラーに抱きついたまま上目遣いに見上げている。
「誰のせいで遅れたと思っているんだ……」
 もはや怒る気力も失せてしまったのか、疲れた顔をさせているミュラーはオリビエを見ようともしない。
 そんなミュラーを見てオリビエは不思議そうに目を真ん丸くさせる。
「え? 誰のせいなの? もしかしてボク?」
「当たり前だろうが!」
 とぼけた風のオリビエに今度こそ我慢ならなかったのかミュラーが大声で怒鳴りつける。が、場が悪かった。ただでさえ注目を浴びている中の怒声。何事かと一気に人が集まり始めてしまった。
 ハッと我に返ったミュラーがすぐに周囲の異変に気づき、額から汗を垂らしながら慌てたように抱きつくオリビエを振り払い、その手を取る。
「ほら、帝都に帰るぞ」
「えー? アイスはー?」
 好奇の視線に耐えられないのか顔を赤くさせているミュラーとは違ってオリビエは涼しい表情を崩さない。気にしていない、というよりはこの状況を楽しんでいるように見えた。
「帝都に戻ったらいくらでも買ってやるから……!」
「ホント? 約束だよ♪」
 その譲歩で合意したのか、オリビエは再び笑顔を浮かべて握られたミュラーの手を握り返す。そしてくるりとナイトハルトの方を見た。
「ナイトハルト君も一緒にどうだい?」
 それは見ている者も笑顔になってしまうほどの、本当に幸せそうな笑み。……その隣に般若の顔でオリビエを睨み付けるミュラーが立っていなければナイトハルトも自然に笑みを返していただろう。
「オリビエ。ナイトハルトを巻き込むな」
 ミュラーは早くこの場から逃げ出したいのか、オリビエの手を引いて先を急ごうとする。
「あ、いや、俺はここの寮で暮らすことになってるから……」
 オリビエとミュラー、二人の視線を向けられたため自然と野次馬の視線もナイトハルトに注がれる。ナイトハルトも思わず他人の振りをしたくなったがそんなわけにはいかない。それに寮住まいをするのも本当だ。だから帝都まで付き合うことはできない。
「そっかー……それは残念だ。じゃあさ、今度会えたときはゆっくりお茶でもしようよ。奢ってあげるからさ。ミュラーが」
「奢りたいならお前が奢れ!」
 ナイトハルトなど余所に漫才を繰り出し始めた二人だったが、そのまますぐにミュラーがオリビエを引きずるようにしながら学院を後にした。
 残されたのはナイトハルトと、そして在校生たち。彼らは二人の姿が見えなくなると用は済んだと言わんばかりに散り散りになってしまう。それでもナイトハルトだけは二人のいなくなった校門のほうをじっと眺めていた。
 あれが噂のエレボニア帝国皇族、アルノール家の守護者のヴァンダール家の人間。
 けれど何と言うか、その…………
「……おかしなヤツだったな」
 思わず口から出た言葉は今日一日のナイトハルトの集大成だった。
 本当に、おかしなヤツだ。オリビエという少年も、ミュラーという少年も。
 ――しかしこの時、三人の付き合いが士官学院卒業後もずっと続くことになることに誰も気がつくはずもなかった。

 ナイトハルトが『オリヴァルト皇子』のことを知るのは、これからもう少し先の話。









帝国コンビとナイトハルトさんの出会い妄想。
夏コミの新刊「はじめて人を殺した日」でチラリと語られてた1シーンを書き起こしてみたもの。
本編に入れるか悩んだのですけど話がかなり逸れるので、当日無料配布冊子としてつけてみました。
無料配布の方は『陽光と出会った日』というタイトルにしてたのですが『太陽と出会った日』が正しいです。間違えたw

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