++ チョコレートの誘惑 ++





 それは俺が13歳で、オリビエが10歳の時のことだった。

「はい、ミュラー! チョコレート!」

 満面の笑顔で差し出されたのは、オリビエの小さな両手のひらにちょこんと鎮座

している小さな包み。

 可愛らしいパステルピンクのリボンで飾られたそれは、『お菓子買ったんだけど

一つ食べない?』のような気軽なものではない。どう見ても誰かのために買われ

た、いわゆる『プレゼント』というものだった。

「…………なんだ、これは」

 だからそう返してしまうのも当然の流れだろう。

 何せ今日は特別な日でも何でもない。今は一日の剣の稽古を終えたばかりで、

甘いものが欲しいなぁと思ってはいたがこのようなきちんとしたプレゼントをもらう

謂れはない。

 ……ただ一つだけ、思い当たることがあるとすれば……

「なんだ、って……だからチョコレートだってば。今日はバレンタインでしょう?」

 今日は2月14日のバレンタイン。世間一般的に女性が男性に対して愛情を伝え

るためにチョコレートを贈るとされている日だ。

 そう。女性が男性に、愛を告白する日。

 だからこそ俺は怪訝そうに眉根を寄せさせてしまう。

 この頃のオリビエは少々イタズラが過ぎるところがあった。

 一体どこで学んだのか、ドアを開ければ水が降ってきたり、稽古中に剣の鞘に

バラの造花がデコレーションされていたり、少し昼寝をしてしまった隙に足と椅子

を紐で結ばれてしまっていたり……

 直接俺を傷つけるようなことは絶対にしない。ただ、俺が驚いたり困ったりする

顔を見るのを陰から楽しんでいるだけだ。

 周りから見れば『子供同士の微笑ましいじゃれ合い』に見えるだろう。実際、叔

父上に愚痴を零した時に「皇子が笑顔でいてくれるのならいいことではないか」と

笑っていた。

 もちろん叔父上の言うことは間違いではない。間違いではない……だが、何度

も何度もイタズラの標的とされる方は堪ったものではない。

「俺が聞いているのはそんなことではない。何故、お前がチョコレートなんかを用

意しているのだ、ということだ」

「へ?」

 元々バレンタインというイベントは苦手だった。

 ヴァンダール家はエレボニアでも有数の武の名門。しかも、代々皇族に仕えるこ

とが許されている唯一の一族だ。ある意味一番皇族からの信頼の厚い一族と言

えるだろう。

 そのため、『是非とも我が娘を婚約者に』と言う貴族は後を絶たない。俺にとって

バレンタインというものは、顔も名前も知らない貴族の令嬢達から山のように贈り

物をされ、世間体を考えると邪険にすることもできずに愛想笑いを浮かべなけれ

ばならない日なのだ。

 きっと今日も、家に戻れば綺麗に着飾った少女たちからチョコレートが腐るほど

届けられているのだろう。甘いものは嫌いではないが、想像するだけで吐き気が

する。

「いいから早くそれを仕舞え。悪いが今はお前の相手をしてやれる余裕はない」

 オリビエに見せられたチョコレートでこれから起こるであろう苦痛を想像してしま

いため息をついた。

 どうしてこの世にはバレンタインなどという行事が存在するのだろうか。チョコ

レートを貰えることを楽しみにしている男の気が知れない。

「………………」

 オリビエは大きな目を更に大きく見開いて俺を見ている。恐らく自分の望んだ反

応が見られなかったことに驚いているのだろうが、生憎この程度でいちいち驚い

たりなどしていられない。

 きっとすぐに『今回はダメだった!』と地団駄を踏むことだろう。以前、床に撒か

れたビー玉を交わした時に悔しそうな顔をしていたのを思い出す。

 いつもいつもやられてばかりというわけにはいかない。時折は反旗を翻さなけれ

ば。

 そう思い、俺はちらりとオリビエを見やる。たまには悔しそうな顔をさせるくらい

許されるだろう。

「…………?」

 だが、俺はそこでやっと気がついた。

 オリビエは悔しそうな顔をしていなければ地団駄も踏んでいない。ただじっと俯

いているだけなことに。

「……オリビエ?」

 はっきり言って俺は鈍い方だ。相手の気持ちなど言われなければわからない。

 だが、そんな俺でも今のオリビエの様子がいつもと違うことはすぐにわかった。

「…………ごめ、ん」

 今にも消え入りそうなか細い声。その声を聞いた途端、俺の胸に何かが突き刺

さった。

 ……何だろう。何も悪いことなどしていないのに、どうしようもないほどの罪悪感

に苛まれるような感覚に陥る。

 胸騒ぎの正体はすぐにわかった。

 目の前で俯き、小さな肩を小刻みに震わせていたオリビエ。まだチョコを握り締

めたままだったその手の甲に、一粒の雫が落ちたからだ。今度は俺がぎょっとし

て目を見開く番だった。

「ひっ……ぃ……っ」

 次いで聞こえてきたのは嗚咽。そしてオリビエの目から、堰を切ったように大粒

の涙が次から次へとぼろぼろと零れ落ちてきた。

「な、なんで泣くんだ!?」

 それはいつも見せているふざけた嘘泣きではない。それはすぐにわかった。い

や、わかったからこそ意味がわからず俺は狼狽えるしかできない。

 オリビエのくだらないイタズラに事前に気がついて、逆にやり返してやることは今

までにも何度もあった。それでもオリビエはやり返されたところで『次にこの失敗

をどう活かすか』と考えるタイプなのだ。少なくとも泣かれることは今までに一度も

なかった。

「ぃっく……だ、だって……だって……」

 それなのに今のオリビエはどうだ。いつもの余裕のある姿はどこにもなく、子供

のようにしゃくりあげているだけ。

「ミ、ミュラー……ボクの、こと、キライって……」

「誰もそんなこと言ってないだろう!?」

 どうしてそういう解釈になるのか意味がわからない。

 そもそも、自分はオリビエのイタズラを咎めただけだ。そんなこともう何度もやっ

ているし、今更なことでも何でもない。

「で、でも、チョコレート、いらない、って」

「それは、お前がくだらないイタズラをするから……」

「だ、だから、ボクのこと……ひっく……キライ、なんだって……」

「いや、だからどうしてそうな……」

 そこまで言いかけたところで俺はハッとした。

 未だ握りしめられたままのチョコレート。そして、オリビエの涙。

 オリビエは言った。『今日はバレンタインだから』と。

「……オリビエ、お前まさか……」

 しゃがみ込み、オリビエと目線を合わせる。オリビエは目を真っ赤に腫らし、不

安そうな、こちらの顔色を伺うような怯えた表情を見せている。

 そんな顔、絶対にさせたくなかったのに。

「今日がどういう日か、ちゃんとわかってるか?」

「……? バレン、タイン……でしょ?」

「バレンタインが、どういう日かわかってるのか?」

「好きな人に、チョコをあげる日だって……」

「………………」

「違うの?」

 不思議そうに聞き返してくるオリビエに他意は見当たらない。そこで俺は全てを

理解する。

 オリビエからすれば、バレンタインという行事は『好きな人にチョコを贈る日』とい

う認識しか持ち合わせていなかったのだ。

 イタズラでもなんでもない。男同士だということも関係ない。ただ単に『俺のことが

好きだから』。その気持ちだけでチョコを俺に贈ろうとしている。だから、それを俺

が受け取ろうとしないため余計な勘違いをしてしまい……

「わ、わかった。じゃあ、一緒に食べよう!」

 オリビエの間違いを正すのはともかく、今はこの状況を何とかしなければならな

い。

「……一緒に?」

「あぁ」

「………………」

 まだぐずっているオリビエの肩に手を置き、俺はなんとか笑いかけた。

 面白くも何ともない時に笑うのは苦手だ。けれど今はそんなことは言っていられ

ない。

「俺が悪かった。お前の好きな紅茶も淹れるから。だから泣くな。……な?」

「………………」

 何度も謝り、笑顔のまま頭を撫でてやる。それでもオリビエの目はまだ不安に揺

らいだままだ。

「……ボクのこと、好き?」

「当たり前だ。お前のことを嫌うわけがないだろう?」

 普段ならこんなセリフは絶対に口にできない。勢いというのは本当に大事だと思

い知らされる。

 けれど、その言葉を聞いた途端にオリビエに笑顔が戻ってきた。

 涙に濡れた顔で小さく微笑む。花の綻ぶような笑顔に俺もほっと安堵の息を漏

らした。

 その後、使用人に紅茶の準備をしてもらい、すっかり機嫌を取り戻したオリビエ

と一緒に紅茶とチョコレートを食べた。

「美味しーね」

「……そうだな」

 確かにチョコレートは美味いものだった。

 だがそんなことより俺の中を大きく占めていたのは、ただただ『疲れた』の3文字

だけ。

「ねぇ、ミュラー」

「なんだ?」

「バレンタインって楽しいね!」

「………………」

 まず、オリビエの間違った認識を正してやらなければいけないな……

 俺はそんなことを考えながら、チョコレートの欠片を口の中に放り込んだ。




















 そして月日は流れ俺は29歳、オリビエも26歳になった。

「はい、ミュラー! チョコレート!」

 あの時と同じ言葉、同じ声で差し出された小さな包みに俺はあからさまに不快そ

うに眉根を寄せた。

 オリビエを泣かせてしまった子供の頃のバレンタイン。あの年からこの悪夢のよ

うな恒例行事が始まってしまった。

 ただ明らかにあの頃と違っているのは、当時のオリビエは純粋に俺にチョコレー

トをあげたかったことに対し、今は単に俺をからかいたいから寄越しているだけ

だ。ニヤニヤと笑っている顔からそれがすぐにわかる。

 オリビエはこの日が近づくと妙に浮き足立つようになり、色々な雑誌を見ては今

年の流行りを調べ上げ、女性たちの群れに紛れるのを恥とも思わず男一人で

たった一つのチョコレートを買いに行くのだ。

 一度帝都のデパートで、気味の悪い裏声を出しながらあちこちのチョコレートを

試食して周り、周囲の女性たちと恋愛話に花を咲かせている姿を見かけたときは

本気で卒倒しそうになった。

 その恐ろしいほどにどうでもいい努力の賜物が、手のひらに乗せられたチョコ

レートだ。

「………………」

 ニコニコ顔のオリビエを軽く睨みつける。余裕綽々な笑顔を見ているだけで意味

もなく腹が立つ。

 馬鹿なことをしている暇があるのなら少しでも仕事を片付けろ。そう言って手を

振り払うことができればどれだけいいだろう。

 ……だが、オリビエは知っているのだ。俺が絶対にそんなことをしないこと……

いや、できないことを。

 あの涙のバレンタインの次の年、オリビエは前の年と同じようなチョコレートを用

意してきた。

 去年のことがあったのに一体何を考えているんだ。と唖然として口を開けないで

いると、オリビエはそんな俺を涙目に潤んだ目で上目遣いに見上げてきたのだ。

 嫌でも思い出すのが目の前で泣かれたあの日のこと。

 慌てて俺はチョコレートを受け取り、ありがとうと礼を言った。

 するとオリビエは上目遣いに俺を見上げたまま……ニコリと、嬉しそうに笑った。

 穢れを知らぬような純粋で純朴なふわりとやわらかな笑み。見ている者を包み

込み、それだけで幸せにしてくれそうな天使の微笑み。……だが、俺はその時に

すべてを悟った。

 あぁ。俺は、オリビエの一年に一度の楽しみを作ってしまったのだ。と。

 あれからすでに16年もの月日が流れた。

 このチョコレートを受け取らず、大泣きされたところで痛くもなければ痒くもない。

 けれど……

「……………………」

 俺は無言のままオリビエの手の中のチョコレートを受け取る。これもまた、16年

間ずっと繰り返されてきたこと。

 何故だかわからない。受け取らなくてもいいのに、俺はどうしてかオリビエの手

を拒むことができないでいた。

 オリビエは俺の反応にやはり満足そうに大きく頷く。一年に一度の、認めたくな

いがもはや公認になってしまっている、オリビエの仕出かす最大のイタズラだ。

「紅茶淹れるね♪ 今日のために新茶も取り寄せておいたんだよ。一緒に飲もう

じゃないか♪」

「………………」

 結局、何も言い返せない俺がいけないのだろうということはわかっている。これ

ばかりは自分でも認めるが、結局俺はオリビエに甘いのだ。

 不可抗力だったとは言え、俺がオリビエを泣かせてしまった。その事実は決して

拭えないのだから。

「……いいから、早く準備をしろ。まだ仕事は残ってるんだぞ」

「はーい♪ あ、今年のチョコレートは美味しいよ♪ 今人気で実力のあるショコラ

ティエが作ったやつだからね。買うのに2時間も並んだんだから!」

 そこは鼻を鳴らしながら胸を張って威張るところではない。

 本当にその労力をどうして仕事に生かせないのか。もはや叱りつける気にもな

らない。

 それに……

「……オリビエ」

「なに?」

 紅茶の準備を始めたオリビエの背に声をかける。

「お前、一体いつまでこんなことを続けるつもりなんだ?」

 問いかけるとオリビエは手を止める。

 ポットを手にしたままゆっくりとこちらを振り返り……そして、ニヤリと笑った。

「飽きるまで……かな?」

 飽きるまで。

 つまり、もう16年も経つのに未だに飽きていないということ。

 16年も飽きていないことが今後飽きることがあるのだろうか……それはオリビ

エにしかわからない。

 けれど、毎年毎年オリビエばかりを悪くは言えないな、と思う自分がいた。

 オリビエが飽きてしまう。そんな時など来なければいい。

 いつまでも子供のような馬鹿みたいなやり取りを続けることができればいい。

 ……そう、心のどこかで思っている自分がいることも事実なのだから。






















バレンタイン過ぎてるけど気にしたら禿げるよ!!!!(白目

2013.2.16 UP

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