++ 子供の頃 ++






 子供の頃のオリビエはとてもわかりやすい性格をしていた。

 ……いや、違う。単に相手にすぐに自分の気持ちをわかってもらえるように、い

つもあからさまな態度を見せていた。

 例えば今日のことがその最たる例だ。



 その日、ミュラーは一日の仕事……つまりオリビエの相手を終えて、自分の家

へと帰ろうとしているところだった。

 別れの挨拶をし、オリビエの部屋を出ようと扉に手を掛けた瞬間。

「……おいオリビエ」

「……………………」

 腰にずしりと何かが圧し掛かるような感覚。

 考えるまでもない。オリビエがいきなりしがみついてきたのだ。

「離せ。帰れない」

「……………………」

 冷たく言い放ってもオリビエはミュラーにしがみつく力を緩めない。

 無視をして扉を開けて歩き出そうとするがオリビエは手を離そうとしない。ミュ

ラーはそのままオリビエを引き摺るようにしながら数歩歩くが、やはりそれでも離

れなかった。

「……オリビエ。重い、離れろ」

 今度は言葉に怒気を含ませる。

 オリビエはそれに気づいたようで一瞬だけ身を竦ませるようにしたが、それでも

決してミュラーから離れようとはしなかった。

「…………ヤだ」

 やっと発した言葉はその一言だけ。言って、ミュラーの腰に回す腕の力を更に強

くする。

 腹部を強く圧迫される感覚に一瞬呻き声をあげそうになったが、それをどうにか

堪えてオリビエを睨み付けた。



 ミュラーにはオリビエがこんな態度を取る理由はわかっていた。

 簡単に言えば単に拗ねているだけなのだ。その拗ねさせてしまった要因がミュ

ラー側にある。

 ミュラーだって子供ではない。もしも自分に非があるのならオリビエにきちんと謝

りもする。

 ……だが今回ばかりは、ミュラー一人ではどうすることもできない理由だった。

「子供みたいな拗ね方をするな! 俺は明日から一週間家の用事で帝都を離れ

るからここには来れない。お前ももう子供じゃないんだから一週間くらい一人でも

大丈夫だろう!?」

「……イ・ヤ・だ!」

 そう。これがオリビエの不機嫌の原因。

 ミュラーは明日から帝都を離れ、他の地域を訪れることになっていた。

 もちろんただの旅行などではない。ヴァンダール家の人間として務めなければ

いけない仕事があるからだ。たとえ皇子の付き人をしているとは言え、これもミュ

ラーにとってはとても大切な仕事だ。

 ……だが、それがオリビエは気に入らないらしい。今回の遠出が決まりそれを

オリビエに告げた日からずっとぶすっとした顔を見せて頬を膨らませ、ついに今日

はこんな強行手段に出てきた。

「オリビエ!」

「イヤだヤダヤダ絶対ヤダ!!」

 ミュラーの強い口調にも、オリビエはしがみついたまま首をぶんぶんと横に振

る。ミュラーは思わず眉間に寄った皺を指で押さえてしまう。

 オリビエはしょっちゅうミュラーを振り回しているが、本気で困らせるようなことは

滅多にしない。

 ふざけてしがみつくことはあっても、きつく言えばすぐに笑いながら離れてくれ

る。一種の愛情表現のようなものだ。

 けれど今日はその様子が見られない。これは徹底的に抗戦するつもりなのだろ

う。

 オリビエがここまで頑なになるのは珍しい。もちろん好かれていること自体に悪

い気はしないのだが……。ミュラーは大げさなほどにため息をついてオリビエを睨

み付けた。

「お前もわかってるだろ!? これは遊びじゃない、仕事なんだ! ヴァンダール

の人間としての務めなんだ!」

 そう。オリビエにも事の大切さはわかっているはず。

 それを裏付けるように、ミュラーの言葉にオリビエは一瞬だけ黙り込んでしまう。

自分が無理を言っているという自覚はあるようだ。

 だが、それでもミュラーを離すことはない。

 痺れを切らしたミュラーがもう一度口を開こうとした時、オリビエがゆっくりと顔を

上げてミュラーを見た。

 じっとりと、まるで積年の恨みを晴らすかのような目で見上げられて反射的に

ミュラーの身が竦む。が、

「……そんなこと言って……本当は別の女のところに行くつもりなんでしょ……」

「…………はぁ?」

 一瞬、オリビエの言っている意味がわからなかった。

 間の抜けた声を返すことしかできないミュラーにオリビエは続ける。

「いつもボクのこと愛してるって言ってくれてるクセに……」

 俯き、ぷるぷると体を震わせている。

 そして顔を上げ、キッとミュラーを睨み付けるとトドメの一言。

「やっぱりボクのことは遊びだったのねー!」

「お前はいつもいつもそんな言葉をどこで覚えてくるんだー!!」

 果てしなく広く続く回廊に、オリビエとミュラーの叫びがビリビリとこだまする。

 どうせまたどこかからワケのわからない小説を手に入れたのだろう。どんな本を

読んでも文句は言わないが、ヘンな言葉をいちいち覚えないでほしい。

「いい加減にしろ! 大体お前は……」

 ついに堪忍袋の緒が切れたミュラーが勢いにまかせて怒鳴り散らそうとする。だ

が、その勢いが急激に萎められてゆく。

 自分を見上げるオリビエの顔が今にも泣きそうな顔をしていたからだ。さすがの

ミュラーの良心もズキリと痛んでしまう。

「…………泣くくらいなら最初から我侭なんて言うな阿呆が」

「だ、だって、だって……!」

 眩暈すら覚えてしまい、思わずその場に座り込みそうになってしまう。だがそれ

ができなかったのは相変わらずオリビエが離れようとしてくれないせいだ。



 わかっている。単にオリビエは寂しいだけなのだと。

 ミュラーと出会う前、オリビエは無機質な日々を過ごしていた。

 朝起きて、昼間は本を読むかピアノを弾いて夜眠るだけの毎日。

 今までも一日だけ来られない日などはよくあった。けれど一週間という長期間は

オリビエに仕えるようになって初めてのこと。

 今のオリビエにとって一週間は途方も無いほど長い時間。またあの生活を一週

間も送らねばならないと思うと恐ろしくて仕方が無いのだろう。それがわかってい

るからこそ、ミュラーもあまり強く叱りつけることが出来ない。

「……………………」

 とは言っても、いつまでもこの状況を容認することもできない。

 何しろ今回の事はミュラーの意思ではない。ミュラーだってオリビエを一人置い

て帝都を離れることを良しとは思っていない。

 これはヴァンダール家の人間としての務め。父にも叔父にもそう言われ、仕方な

く首を縦に振ったのだ。

 そしてオリビエ自身もわかっていた。

 ミュラーがいつまでも自分だけを構ってはいられないこと。ヴァンダールの人間

として果たさねばならない使命があること。

 だからどれだけ自分が駄々をこねたところで何も変わらない。それどころか、こ

れ以上はミュラーを困らせて怒らせるだけでは済まず、鬱陶しがられて嫌われて

しまうかもしれない。

「……………………ゴメン……」

 ゆるゆると、オリビエの手が離された。

 途端に体の圧迫感はなくなったが、風通しがよくなって少しだけ寒くなった気が

する。

 解放してくれたもののオリビエはまだ泣きそうな顔をしている。

「……一週間だけだ。すぐ戻るから」

「……うん」

「土産も買ってきてやるから」

「…………うん」

 こくんと頷く姿がいつもよりもずっと小さく見える。

 自分が悪いわけではないが余りにも後味が悪い。ミュラーは短髪を掻き毟りな

がらオリビエから目を逸らすように背を向けて歩き出した。

「………………」

 自分が廊下を歩く足音だけが嫌なくらいに耳に響く。

 解放はされたが、しがみつかれていた重さよりもずっと重い何かが体に纏わり

ついて離れてくれない。

 そんなミュラーにかかった呪縛を解いたのは、やはりオリビエの一言。

「…………ミュラー!」

 重い足を引きずりながら歩いている背後から、声がした。

 振り返ると先ほどと同じ位置で、オリビエは涙に濡れた目を擦り、ミュラーの方を

見る。

 そして軽く手を上げて、にこりと笑って控えめにこう言うのだ。

「……なるべく早く、帰ってきてね」

「……………………」


 どこか儚げで今にも消えてしまいそうな笑み。


 悔しいけれど、守ってやりたいと……守ってやらないとと思えてしまう小さな姿。


 一体どこから演技でどこまでが本気なのか。それはミュラーにもよくわからない。


 ただ一つだけはっきりとわかっていることがあるとすれば…………




「…………善処しておく」




 やっぱり自分は、まだまだオリビエには甘いということだけだった。




























「ボクのことは遊びだったのねー!」
「お前はいつもいつもそんな言葉をどこで覚えてくるんだ!!」

これが書きたかっただけ(笑

2010.1.31 UP

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