++ 善と悪が交差する ++




息を切らしながら、通い慣れてきた道を駆けぬける。

途中で誰かと肩をぶつけてしまっても、今のミュラーには振り返り頭を下げる余裕

は無い。

ただただ1分1秒でも早く、あの少年の顔を見て安心したかった。



目的の場所へたどり着くと、ノックをする時間すらもどかしく壊してしまいそうな勢

いで扉を開く。

けたたましい音と共に、部屋の中にいた2人の人物が一斉にミュラーの方を見

た。

「……ミュラー。どうしたの?」

そう聞いてきたのはミュラーが無事を確かめたいと思っていた少年……オリビエ

だった。

ミュラーがオリビエに仕えるようになってから早数ヶ月。

この頃のオリビエはまだ警戒心が強く、ミュラー相手にでも決して隙を見せようと

はしなかった。

オリビエは今は上着を脱いでおり、室内にいるもう一人の人物……ゼクスに左腕

を向けている。その左腕には、一瞬目を背けたくなるほどの傷跡が見えた。

ミュラーの元に『オリビエが賊に襲われた』という報せが届いたのは今から30分

ほど前のこと。

今日は休暇をもらっていたミュラーだったが、その報せに慌てて家を飛び出して来

たのだ。

「……お前が、怪我をしたと、聞いて」

まだ息が上がっている。額を流れる汗を拭うのも忘れて途切れ途切れにそう言う

が、当のオリビエはきょとんとした目を向けている。

「あぁ……これ? 別に気にするほどじゃないよ。掠っただけだから」

興味がなさそうに本人はそう言うが、とてもそんな浅い傷には見えない。あれは何

針か縫っているだろう。

ゼクスが無言で傷の上に包帯を巻く。細い腕にぐるぐるに巻かれた包帯は見てい

るだけで痛々しいが、ゼクスの手を借りながらシャツを着ると途端に包帯は見えな

くなり、そこにはいつものオリビエの姿があった。

「そんなことでわざわざ来たの? 別に明日ちゃんと報告するから構わないのに」

呆れたように言いながら嘲るような笑みを浮かべる。

オリビエは一人で散歩に出ているところを襲われたと聞いた。

相手が誰なのかはわからない。襲われた当人も、腕から血を流しながらもやはり

興味がなさそうに『知らない』と答えるだけだと言う。

だが、ミュラーには……そして恐らくオリビエにも相手の目星は大体ついている。



オリビエは庶出故、皇位継承権は嫡出の皇子達とは比べ物にならないくらい低

い。

けれど継承権が『低い』というだけで、『無い』わけではない。

史実でも、その昔エレボニアで起こった内乱で有名な皇子達が死に絶え、継承権

の低い無名の皇子が即位したという例がある。



だから、オリビエもその地位を狙っていると……自分より皇位継承権の高い兄達

を暗殺し皇帝に即位しようと目論んでいるのではないか、と思い込んでいる輩は

少なくない。



こんな子供に一体何ができると言うのか。と、そんな理屈が通る相手ではない。






「ボクは大丈夫だからもう帰ってもいいよ。……先生も、もういいよ」

手当てが終わるとオリビエは立ち上がって部屋を出て行こうとする。ミュラーは慌

ててその後を追いかけた。

「部屋まで送る」

「……別にいいよ。子供じゃないんだから」

「怪我をしているだろう。また襲われたらどうする」

「大丈夫だよ。1日に2度も襲ってくるほど相手は馬鹿じゃないだろうから」

ゆっくりとした足元がどこかおぼつかない。やはり傷が痛むのだろうか。

「傷が響くのだろう。無茶をするな」

「……無茶なんてしてないよ」

「しているだろう。嘘をつくな」

「……………………」

それ以上オリビエは何も言ってこない。恐らく図星だったのだろう。

ただ無言のままゆっくりと歩く。ミュラーもそれ以上は急かすようなことはせず、オ

リビエの歩調に合わせて静かに歩を進めた。

「……オリビエ。1つだけ聞きたいことがある」

けれどしばらく歩いたところで少々迷いながらも口を開く。

あえてこの話題は避けていた。

けれど避けては通れない。いつか通らなければならない道だともわかっていた。

「…………何?」

もしかしたらオリビエもミュラーの声音から何かを察していたのかもしれない。ピタ

リと足を止め、僅かにミュラーの方を振り返る。

視線と視線が交わりあう。

何かを言わなければいけない。それはわかっているのだが、ミュラーは口を開け

ないでいる。

もし聞いてしまえば、後悔してしまうかもしれないから。

……そんな話を聞いてしまったことに。そして、オリビエにそんな言葉を口にさせ

てしまうことに。



オリビエに仕えるようになってからミュラーは気づいたことがある。

オリビエは『生』に乏しい少年だった。

生きるということにまったく執着しておらず、毎日に楽しみを見出せているように見

えなかったのだ。

もし目の前にもう一度暗殺者が現れても、逃げることも泣き喚くこともせずに死を

受け入れるのではないかとさえ思えてしまえるほど。今回だって深手を負ったとい

うのにケロリとした顔をしている。

……だからどうしても思ってしまうのだ。

もしかしたらオリビエは、死を望んでいるのではないのか、と……



「……………………」

……でも、やはりその言葉を言えないでいる。

この頃のミュラーはまだまだ子供だったから。

本当に聞いてもいいのかいけないのか、その判断がつかなかったから。

……それにもしオリビエがその問いかけに頷くようなことがあれば、自分はこれか

ら先どうすればいいのかわからなくなってしまうから。

「……………………」

オリビエは黙ってミュラーの言葉を待っていた。

けれどミュラーが考え込むように俯いてしまったのを見て、ふと口元に笑みを浮か

べる。

「…………キミは優しいね」

囁くような言葉にミュラーは顔を上げる。

「忠告してあげるよ。……いつか、きっとその優しさが命取りになるから」

そこまで言って、オリビエは一度言葉を止める。

少しだけ俯いて、息を吐いて、吸う。そして再び顔を上げた。

「よく、『生まれるべきではない命、死んでもいい命なんてこの世には存在しない』

って言うだろう?」

続けられた言葉にミュラーの肩がピクリと動く。

……その先の言葉を聞きたくなかった。耳を塞いで逃げ出してしまいたかった。

けれどそれはできない。紡がれる言葉を聞かなければいけない。だってミュラー

はオリビエの従者なのだから。

「……確かにボクもそう思うよ。生まれなくていい命なんてない。誰にだって生きる

権利はあるし、誰もが意味を持って生まれてきたんだろうって。…………でも……

……でもね………………」

震える手をぐっと握り締めてオリビエの言葉を待つ。オリビエは穏やかに微笑み、

ほんの少しだけ目を伏せさせ、続ける。

「……でも、死んだところでこの世に何の支障もきたさない人間というのは存在す

るんだよ」

風が吹いた。

力なく下ろされたオリビエの左腕が目に入り……そして、先ほど見えた傷跡がミュ

ラーの頭の中で鮮明に蘇り、チリチリとした痛みが走る。

「お前は……それを自分のことだと言いたいのか?」

「………………」

やっとミュラーは口を開くことができたが、オリビエはそれに答えない。

けれどあまりにも寂しく見える笑顔が、ミュラーの言葉を肯定していると物語って

いた。

オリビエは庶出だ。宮廷にも滅多に顔を出さなければ、他の皇子のように何かの

仕事を任されているわけでもない。

詳しくは知らないが、皇帝はオリビエの母親を見初めて無理やり契りを結んだと

聞いている。その女性がどんな人物なのか、今は一体どこでどうしているのか、そ

れはミュラーは知らないし、オリビエが知っているかどうかもわからない。

ただ、ミュラーは今まで一度もオリビエの母親らしき女性の姿を見たことはなかっ

た。

そして皇帝はオリビエの母である女性を愛したけれど、その間に生まれた我が子

であるオリビエにはそこまで深い愛情を持っているわけではないらしい。

その証拠に、皇帝がオリビエに会いに来る気配もまったく見られないし、オリビエ

の口から父親の話を聞いたこともない。

いなくなっても気づかれないのでは、と言われたらミュラーは否定することができ

なかった。

「ボクはこれからも命を狙われるだろうね。ボクが、ボクである限り」

オリビエの言葉は真実だ。今回のことなど序の口に過ぎない。

「キミはボクに同情して一緒にいてくれてるのだろうけど、くだらない感情で人生を

棒に振るのは良くないと思うよ」

次は腕だけでは済まないかもしれない。もしかしたらオリビエではなく、護衛をして

いるミュラーの方が傷つくかもしれない。

……そう、次はミュラーが命を落とすかもしれないのだ。

「『いなくなってもこの世に何の支障もきたさない人間』のために、キミが体を張る

必要はないよ。……ボクは兄上達とは違うんだから」

そう言われてミュラーは理解した。

オリビエは先ほど、ミュラーに対して「キミは優しい」と言った。

だが、本当は違っていた。誰よりも「優しい」のはミュラーなどではなくオリビエの方

なのだ。

そう、優しくて……優しすぎて、己の身を滅ぼしてしまうほどに。

「ま、ボクは皇帝になれる可能性は低いし、そもそもなる気はさらさらないわけだ

し。……ボクと一緒にいたところでキミにプラスになることは何も無い。それはキミ

もわかってるだろう?」

言って、オリビエは笑う。

本当は泣きたいはずなのに、そんな様子を微塵も見せようとはしない。

己の気持ちを押し殺し、偽りの仮面を被って演技を続ける少年。

そしてミュラーは……

「……………………」

「……………………」

2人で向かい合い、無言のまま立ち尽くす。

オリビエが自分を突き放そうとしていることはわかっていた。

素っ気無い態度も物言いも、全てはミュラーの方から去ってゆかせるため。

オリビエに同情していないと言えば嘘になる。けれど仕えようと決めたのは決して

それだけが理由ではない。

「……………………」

先に目を逸らしたのはオリビエの方。

真っ直ぐに見据えるミュラーの視線に耐えられなかったのか、もうこれ以上交わす

言葉はないと言いたそうにふらつく足でゆっくりと歩き出す。

その後ろを、ミュラーは当然のようについてゆく。

数歩進んだところで、オリビエは自分の後ろを影のようについてきている存在に

気づいて足を止めた。

「……………………」

無言のまま、少しだけ後ろを振り向く。

その瞳にミュラーの姿が映った途端、ほんの僅かだが軽く目が見開かれたのを

見逃さない。

本当は誰かに側にいてほしいくせに。ミュラーが自分を見捨てないでいてくれて嬉

しかったくせに。

……それなのに、やはりオリビエは自分の感情を押し殺す。

一瞬だけ浮かばせた歓喜の表情をすぐに消し、前を向く。そして小さく呟いた。

「…………好きにすればいいよ」

それはこれ以上ミュラーを突き放すこともできず、だからと言って受け入れること

もできない、今のオリビエが言える精一杯の言葉。

本心で拒絶されているわけではない。そのことがわかっただけでもミュラーは安堵

せざるをえない。

「あぁ、言われなくても好きにさせてもらう」

強気の姿勢で挑まねば、この少年を掴まえていることはできない。

曖昧な態度で接していればいつか目の前から消えていなくなってしまうような、そ

んな気がしてしまう。




何が正しくて何が間違っているのか。

何が善で何が悪なのか。

……それは誰にもわからない。




それでも1つだけ、ミュラーにはわかっていることがある。




自分がこうしてオリビエの側にいるということだけは決して間違っていないと。






……きっとそのために、自分は生まれてきたのだろうと。
































夏コミ新刊没ネタ。
書いてる私は相当楽しかった(笑)のですが、本にするには暗いと思ったのでサイトでアップ。
ネタ出しの段階ではここまで暗くなかったのですが、どうせサイトにアップするなら好きにしようと思ったらこうなった(笑

2009.8.8 UP

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