++ 断罪 ++






「キミはボクを怨んでいないのかい?」

一体何故そんな話になったのか。それはもうその場にいる誰にも思い出せない。

ただはっきりとしているのは、恐らくそれは酒のせいだということ。

オリビエは目の前の相手を見据えながら、赤い液体の注がれたグラスを唇に当て

てゆっくりと口の中に流し込む。

芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、それは残滓を残すように軽く焼き付いて咽喉を通っ

てゆく。

……あぁ。酔っているな。

オリビエは自分でもそれを自覚していた。

けれど、今はまだほんの数杯しかグラスを空にしていない。リベールに来てからは

シェラザードとの付き合いのおかげで酒には以前より強くなった気がする。

それなのに、もう酔ってしまった。

それは恐らく、つい先ほど一世一代の大芝居を打ったばかりな上、目の前の男が

無言のまま自分を睨みつけているからだろう。

ワインのように紅く燃える瞳が自分を捕らえて離さない。……もっとも、逃げる気

など端からないのだが。






リベール王国軍親衛隊が誇る高速巡洋艦・アルセイユ号。

その休憩室の一角に、オリビエことオリヴァルト皇子と彼の懐刀であるミュラー・

ヴァンダール。……そして遊撃士のアガット・クロスナーがいた。

ほんのひと時の安らぎの時間を求めてここにやって来た3人。

オリビエとアガットはそれぞれ向かい合うように椅子に腰掛け、2人の手には酒の

入ったグラスが握られており、ミュラーはオリビエの背後に控えるように立ってい

た。

最初は単なる世間話をしていたのだと思う。

けれど酒の力というのは本当に恐ろしいものだ。

咽喉を通ったアルコールは全身に血を巡らせて気分を高ませて、わざわざ言わな

くてもいいことまで口にしてしまう。

……いや、けれどこれは言っておかなければいけないことのはずだ。オリビエは

そう自分に言い聞かせ、目の前にいるアガットの目をじっと見据える。

「……はぁ? お前何言ってんだ? なんで俺がてめーを怨むんだよ」

けれどアガットはオリビエの方を見ようともせずウィスキーをがぶりと煽るだけ。

……その動作が、いつもよりどこかぎこちない。それをオリビエはすぐに見抜き、

いつもの笑みをにんまりと浮かべる。

「いや、ラヴェンヌ村ではモルガン将軍にはあんなに喰ってかかっていたからさ」

オリビエの言葉にアガットの肩がピクリと震える。

……嫌でもラヴェンヌ村での出来事が脳裏に蘇える。

どうして村を、妹を救えなかったのかとモルガン将軍を責めた自分。

そしてついこの間もレグナートが果樹園を襲った時に同じように将軍を問い詰め

た。

……けれども、モルガン将軍を責める前に……

「言い訳をする気なんてないよ。例えどんな理由があったにせよ、ありもしない罪

を捏造して《百日戦役》を嗾けたのはエレボニア軍。これは紛れもない事実だ。…

…そして、直接手を下したわけではなくとも、その事態を止めることなく傍観してい

たのは現エレボニア皇帝……ボクの父だ」

「………………」

アガットは無言のまま酒をもう一口飲む。

……本当はアガットもわかっていた。オリビエが何を言いたいのかを。

ただあえて考えないようにしていただけ。

目の前の男に罪はないと……共に旅してきた仲間を疑いたくないだけ。

それなのに、オリビエはそんなアガットの心情に構わず続ける。

「父上が一言『止めろ』と言えば避けられたことだった。もっと慎重に軍内部のこと

を調べていれば、一部の軍上層部の自作自演だとすぐにわかることだった」

「……オリビエ」

けれどそこで、沈黙を守っていたミュラーが口を開く。これ以上は聞くに耐えない

と判断したのか、その顔は苦痛に歪んでいた。それなのに、オリビエはミュラーの

方を振り返ることはない。

「それなのに皇帝陛下はそれをしなかった。ハーメルがリベールに侵略されたとい

う情報を間に受けて、見す見すリベールへの侵攻を許してしまい、ラヴェンヌ村へ

甚大な被害をもたらし、そして……」

「オリビエ」

「……結果、キミの妹は亡くなった」

「オリビエ!」

ミュラーが声を張り上げる。……それでもオリビエの顔色は変わらない。その瞳は

真っ直ぐにアガットを射抜いている。

「キミは腹を立てる相手を間違えている。モルガン将軍は何も悪くない。悪いのは

ボク達エレボニア軍だ」

オリビエはニヤリと笑い……片手を自分の胸元に当てる。

「……そしてボクは、そのエレボニア帝国を統治している男の……キミの憎き仇の

息子だ」

挑発するような言い方に、アガットの眼光が鋭く光る。

途端にオリビエの背後に控えていたミュラーが剣を抜こうとする。

けれど足を一歩前に擦りだすと、その気配をすぐに察したのか即座にオリビエが

口を開く。

「ミュラー。キミは手を出さないで」

「だが……」

「ミュラー」

「………………」

先ほどよりも強い口調でミュラーの名を呼ぶ。

すると、今にも牙を剥きだしてしまいそうだった獰猛な獣が途端に大人しくなる。

ミュラーはまだ何かを言いたそうだったが、結局何も反論することなく剣を鞘に納

めなおすと腕を組んで目を瞑った。

その様子を見て、アガットは鼻で笑ってみせる。

「ハッ。帝国の少佐様と言えど、所詮は狗だな。ご主人様の命令には逆らえないっ

てのか?」

両手を広げながら含みを込めて笑ってみせると、ミュラーは無言のままじろりとア

ガットを睨みつける。……けれどワイングラスを片手に持つ男の顔からはまだ笑

みは消えない。

元々、帝国人ということでオリビエのことはどうも好きになれなかった。

その上、相変わらず間が抜けていて何を考えているのかわからないあの微笑が

アガットは嫌いだった。

「俺はまだお前を信用したわけじゃない」

「うん。わかってるよ。今更ボクが何を言ったところで言い訳にしかならない。だっ

てボクは皇帝の息子だからね」

アガットが酒を口に運んでいる向こうにオリビエの憎らしい笑顔が見える。

「……お前、いったい何がしたいんだ? 変人だというのはわかりきってたが、こ

こまでだったとは思わなかったぞ」

「………………」

アガットの言葉に、ふとオリビエの表情が陰る。笑みがどこかいつもと違うものに

なった。

何が違うのかと言われてもわからないが……今まで見せられたものと、明らかに

何かが違っていた。

憂いを帯びた瞳が僅かに伏せられた。

「……わからないだけだよ。キミも、エステル君も、ヨシュア君も」

「わからない?」

オリビエは静かに頷く。

「あぁ。……仇の息子が目の前にいるってのに、キミ達は以前と何も変わらない。

エステル君の場合は彼女がそういう性格だからわからないでもないけど……君や

ヨシュア君には2,3発は殴られる覚悟でいたんだけどね」

……どこか自嘲じみた笑み。その瞳の奥に深い悲しみがちらりと揺らめいたのを

アガットは見逃さなかった。

それは、妹を亡くして深い悲しみと絶望に追いやられた時の自分と同じ瞳。

「それなのにキミはボクを殴るどころか責めようともしない。何故かな、とただ単純

に疑問に思ってね」

言いながらオリビエはワインをもう一口飲む。

別に飲みたくはないのだが、どうしてか手が勝手に動く。

……酒の力に頼らないと言いたいことが全てを言えないような気がした。

「キミにはその資格がある。ボクを殴りたいと言うのなら殴ればいいし……殺した

いと言うのなら殺せばいい。ボク一人の命で贖えるかどうかはわからないけど」

「オリビエ! 貴様何を……」

「いいから。……ミュラーは黙ってて」

「………………」

有無を言わさぬ強い口調で即座に挟まれて、ミュラーはそれ以上何も言うことが

できない。

オリビエが自分に対してこんなに明らかな拒絶の意を示したのは初めてだった。

オリビエは横目でミュラーが黙り込んだのを確認すると、改めてアガットの顔を覗

き込む。

「……さあ、キミはどうしたい?」

その囁くような言葉には、何の感情も篭っていない。

許しを請うわけでも憤りを感じているわけでも、ましてやアガットを嘲笑っているわ

けでもない。

アガットにはすぐにわかった。オリビエは自分を責めているのだと。

アガットが妹の死を許せず自分を責めたように……オリビエも、何もできない子供

だった自分を許せないのだと。

そんなオリビエの心が、痛いほどに伝わってくる。

「………………」

アガットは軽く目を瞑り、グラスに残った酒を一気に飲み干した。

一緒に流れ込んできた氷を一つだけ口に含み、奥歯でガリリと噛み砕く。

冷たい水と氷の欠片が咽喉を通り、酔いを少しだけ醒ましてくれる。

そして、吐き捨てるように一言。

「……おめーは馬鹿か?」

オリビエをじろりとねめつけながら呟く。

そこにあるのはオリビエの奇行に呆れ果てた時に見せるいつもの表情。

「おめーには今まで散々振り回されてきたんだ。今更こんなことで本気で怒る気に

はなんねーよ。……ま、その間抜け面を殴ってミーシャが帰ってくるってんなら考

えるけどな。それに……」

言ってグラスをあおり、氷をもう1つ口に入れる。

ふと脳裏を過ぎるのは、太陽のような金の髪と空と同じ色の瞳を持つ少女。

「……それに、また何か問題を起こすとティータの奴がうるさいだろうしな」

言いながら氷をガリガリと噛み砕く。

ラヴェンヌ村でのことを思い出したのだろう。心底参ったと言いたそうに大仰にた

め息をついて見せた。

そんなアガットの様子にオリビエは一瞬面食らったように目を丸くさせてしまうが

……すぐに、口元に笑みを浮かべた。

「ふふふ。そんなことを言いながら、実はそちらのほうが本音だろう? いやはや

どうやらボクはティータ君に命を救われてしまったらしい。これは今度彼女をデート

にお誘いせねばっ!」

「……お前はどこまで甲斐性なしなんだよ」

「おっとしまった。怖いお兄さんがいたんだった」

オリビエの笑い声に、アガットのため息。

先ほどまでの張り詰めていた空気が一瞬にして拡散していくのをその場にいる誰

もが感じていた。

自然とミュラーの唇も緩やかな弧を描く。まだ剣の柄にかけていた手がゆっくりと

離された。

「……そうだ。それでもどうしてもと言うなら、1つだけ頼みたいことがある」

ひとしきり笑った後、アガットは空になったグラスを持ち上げ、ニヤリと笑って見せ

た。

「一杯奢れ」

そのアガットの言葉にオリビエもいつもの笑みを見せる。

それは殴りたいくらい憎らしいけど、それと同時にどうしてか強い信頼感を得るこ

とができる笑み。

「そのくらいお安い御用だよ。ボクのポケットマネーで奢らせていただこう」

オリビエの笑みにアガットも笑みを返すと、今度はまだオリビエの背後に控えたま

まのミュラーを見る。

「おい少佐。お前も付き合えよ」

「は?」

唐突に声を掛けられてミュラーは目を軽く見開く。

けれどすぐに我に返って首を横に振ろうとした。

「いや、俺は……」

「ミュラー。アガット君のご指名だよ」

けれどそんなミュラーの返答などお見通しだと言わんばかりにオリビエがミュラー

の方を振り返る。

途端にミュラーの眉根が寄った。

「職務中だぞ」

間髪返された言葉にも、オリビエは呆れたように首を振った。

「はぁ……。まったく、これだから帝国軍人は。今日は固いことは言いっこナシ。無

礼講だよ」

「……お前の場合は今日『も』だろうが」

ぶつぶつと言いながらもミュラーは観念したのかオリビエの隣に腰掛ける。

間もなく3人分の酒が運ばれてきて、小さな宴会が開かれた。

そこには国境というものはどこにも存在しない。

共に窮地を乗り越えてきたかけがえのない仲間。……それ以外の何者でもない。







もう《百日戦役》は終わったのだ。

確かにあの戦争でお互いにとても大切なものを失った。

……けれどこうして今、お互いにとても大切なものを得ることができた。

誰が悪いとかどうすれば償えるのかとかそんなことじゃない。

ただこうして酒を飲んで笑いあっていられれば、今はそれでいい。









3人のグラスが重ね合わさる音が、静かに響き渡った。









































アガットがオリビエの正体を知った時にどう思ったのかな?と感じたことがあるのを書いてみました。
いや実際モルガン将軍にあんなに食って掛かったのにさ。オリビエなんてある意味もっと憎む対象だろうなぁと思ったので。
まぁその辺りはアガットも大人になったということでしょうか?(笑

しかしオリビエとジンさんが飲み仲間というイメージはありますが、オリビエとアガットが飲み仲間というイメージってあんまりないんですよね。
あの2人って性格的にも合うとも思えないし。
オリビエはアガットのことはからかいがいがあって大好きでしょうが(笑

2008.1.19 UP

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