++ 地図にない村 ++





朝、目が覚めると外は夢の中と同じような雨が降っていた。

だから一瞬、まだ夢の続きを見ているのではないかという錯覚に陥ってしまうが、

すぐに体を起こして今自分がいるのが現実の世界なんだということを理解する。

「………………」

懐かしい夢を見た。そんなことを思いながら昨夜のことを思い出し、素早く身支度

を整えると真っ先に書物庫へ向かう。

書物庫の扉を開けると、独特の紙とインクのにおいに思わずむせ返ってしまいそ

うになる。

そして案の定、そこにはやはりオリビエがいた。

手を口元に当てている姿勢も本を捲る速度も、昨夜別れた時から何も変わってい

ない。

ただ明らかに変わっているのは、机の上に積まれた本が山となっているところ。

いや、机の上だけではない。床にも何冊もの本が転がり、周りの本棚はところどこ

ろ本の抜けた跡が目立っている。

自分が眠っているほんの数時間でこれらを全て読んだのだろうか。相変わらず末

恐ろしい。ミュラーが来たことに気付いた気配すらない。

「オリビエ」

声を掛けると本の山に囲まれたオリビエの肩がビクリと震える。

そんな仕種や、弾かれたように顔を上げてミュラーの姿を捕らえて安堵するように

笑う表情は10年前と少しも変わらない。

「なんだミュラーか。グッモーニン♪」

ちょうど一区切りついたところだったのか、本を置いて軽く手を上げるとニコリと笑

う。目が僅かに充血しているのは恐らく一睡もしてないせいだろう。

「また貫徹したのか?」

「いやー、調べ始めると止まらなくってね。でもおかげで成果はあったよ」

「成果?」

「うん。……ま、その話はまた後でね」

成果があったと言っている割には、オリビエの表情はどこか冴えない。いつもの彼

なら聞いてもいないのに嬉しそうにミュラーに報告してくるのに。

不思議に思うミュラーを前に、オリビエは大きく体を伸ばして大きな欠伸を一つす

る。

そして目尻に滲んだ涙を拭いながら、いつもの屈託のない笑みを見せた。

「その前にミュラー。これ片付けるの手伝ってね♪」

「………………」

当然のように言うオリビエの辺りに散乱している本の山。

ミュラーは一瞬本気で言葉を失ってしまったが、目の前にいる男の子供の頃と何

も変わらない笑みに諦めに近いものを感じ、ただ大きくため息をついた。






























しとしとと、雨は静かに降る。

昨日の女王生誕祭の快晴が嘘のように空にはどんよりと分厚い灰色の雲が立ち

込めており、こちらの気分まで滅入ってしまいそうなじっとりとした空気が纏わりつ

いていた。

「生誕祭がこんな天気でなくてよかったな」

窓の方を見やるが、いつも賑やかな声で溢れかえっている往来は、まだ朝も早い

せいもあるのかしんと静まり返っている。

「そうだよね〜。昨日は絶好の生誕祭日和だったからね。やっぱりアリシア女王の

日頃の行いがいいからだよ。女神に愛されている証だね」

「……お前の場合なら雹が降るだろうな」

「相変わらずヒドイなぁ。ボクほど女神に愛されてる男もそうはいないよ?」

書物庫の片づけを終えた後、2人はミュラーの部屋で朝食を摂ることにした。

パンとスープだけという簡素な朝食だが、それでもエレボニア軍で出される食事と

は雲泥の差だ、とミュラーは思う。

エレボニア軍は大きい。そのためあまり食費に費用を割けないでいる。

この大使館に送られている軍費も必要最低限。さすがに帝国貴族であるダヴィル

大使には別の食事が用意されているが、ただの駐在武官のミュラーと、その友人

でただの旅行者となっているオリビエには格下の食事しか提供されない。

オリビエは食に関しては人一倍うるさいが、軍の内情は他の誰よりもよく知ってい

る。だからだろう、文句を言うことなくスープを掬って口に運ぶ。

「……ところで、何を調べていたんだ?」

口を開いたのは、朝食を半分ほど食べ終えた頃。

いつもなら喧しいくらいに饒舌なオリビエが今日に限っては何も喋ろうとしない。

ミュラーの睨みつけるような視線から逃げるように、行儀悪く肘を付いてパンをち

ぎった。

「ん……ちょっと気になることがあってね」

「それは昨日聞いた」

ピシャリと言い捨てる幼なじみにオリビエは困ったように笑う。

けれど、すぐ真顔に戻った。

「…………ヨシュア君だよ。……彼は恐らくエレボニアの出身だ」

「は?」

唐突に出された名、そして続けられた言葉にミュラーは意味がわからず間の抜け

た声を返してしまう。

いつものオリビエならそんなミュラーを見たら確実にからかうのだが、今日はそれ

がない。ただ遠い目をしながら、カップをテーブルの上に置いた。

「……ミュラーは『星の在り処』って歌、覚えてる?」

「『星の在り処』? ……あぁ。子供の頃に流行った歌だな」

そう。それは確かまだ2人が子供だった頃に帝都で一時期流行った歌。今では聞

くことは全くないが、田舎の方では今でもラブソングとして親しまれているらしい。

「そうそうそれ。ヨシュア君がそれを昨日、ハーモニカで吹いてたんだ。以前も川蝉

亭で吹いてるのを聞いたことがあるけど、あんな一昔前にエレボニアで流行った

曲をリベールに住んでるヨシュア君が知ってるなんておかしくないかい?」

「確かにそうだが……彼は養子なのだろう? 帝国出身でも何もおかしいことはな

いと思うが」

以前オリビエが言っていた話によると、ヨシュアは5年前にブライト家に養子となっ

た孤児らしい。

それなら別に、実は帝国が出身地だということでもおかしいところはない。

それはオリビエにもわかっているのだろう。けれど腑に落ちないと言いたそうに眉

根を寄せる。

「………………ハーメル」

「…………?」

ぽつりと、一言。

それは耳を澄ましていないと聞き逃してしまいそうな呟き。ミュラーは無意識の内

にスプーンを持つ手を止めてしまっていた。

「……ハーメルだよ。覚えてるだろ?」

「ハーメル……まさか、あの……?」

ミュラーは目を見開くが、オリビエは小さく頷くだけ。


ハーメル。それは『百日戦役』が勃発する原因となった村。

……そう。オリビエ以外の誰にも気付かれず、ひっそりと地図から消された村。

今朝方まで見ていた夢が一気にフラッシュバックをした気がしてミュラーは軽く目

を瞑る。

「ボクの調べによれば、確か男の子が2人生き残っているはずなんだよ。その内

の1人は肉親を目の前で殺されて精神的に病んでしまって、病床でずっとハーモ

ニカを吹き続けていたとかどうとか。名前はわからないけど姓は確か……アストレ

イ、だったかな?」

「……よくそんなことがわかったな」

あの忌まわしい事件の記録はほとんど残っていないはずだ。何しろ軍の上層部で

すら一握りの人物しか知らないのだから。

「ふっふっふ。ボクの情報網を甘く見ないでよ。隠されれば隠されるほど知りたく

なっちゃうもん。あの後本気で調べさせてもらったさ」

確かにオリビエはハーメルの名が地図から消えたと知った後、宮廷中を駆け巡っ

てハーメルのことを調べまわっていた。

やっとのことで、ハーメルでは山崩れが起こり、村人達がほぼ全滅に近い状態に

陥ったという情報を得ることができたが、オリビエはそのことに納得しなかった。

確かに軍がハーメルに派遣されたという事実はあったが、本当に山崩れが起こっ

たのなら帝都にもなんらかの形でそのことが伝わっているはずだ。記事の片隅に

も載らないというのはいくらなんでもおかしすぎる。

そう言って、ミュラーが止めるのも聞かず自分の持てる権力の全てを使ってハー

メルの真実を探ろうとした。

普段は皇族だからと言って威張ることなどは決してしないオリビエだが、こういう時

だけは容赦しない。

……そしてオリビエは真実を知った。

自国の犯した決して償うことの出来ない罪のことを。

「その男の子は、結局病気が治る兆が見られなくてある施設に預けられたらしい

んだけど、その後の情報はボクの力でも一切掴むことができなかった」

当時のことを思い出したのか、オリビエは憎憎しげに口元を歪ませる。

しかし、仮にも皇族であるオリビエの名を出しても手に入れられない情報となれば

相手は想像していたより相当の手練だ。

「……もしその男の子がヨシュア君で、彼を引き取ったのが《身喰らう蛇》だとした

ら?」

「……は?」

そして独り言のように呟かれたオリビエの言葉。

その突拍子のなさにミュラーは一瞬呆気に取られるが、あまりのあり得なさに口

元を引きつらせた。

「まさか……いくらなんでもそれは考えすぎだろう」

けれど自然と出た言葉にハッとする。

夢の中と同じ呟き。

そして、じっと自分を見据える夢の中と同じ強い意思を秘めた瞳。

「……ボクの考えすぎで終わるならそれで構わないよ」

目の前の男も、夢と同じ呟きを繰り返す。

「でも可能性はゼロじゃない。もしヨシュア君がハーメルの遺児だとしたら……これ

はボクの罪でもある」

「……………………」

ハーメルの真実を知ることができた時、オリビエは同時に百日戦役の真実も知っ

た。

けれど当時のオリビエはまだ子供で、何かをしたいと思っても何もすることができ

なかった。

……でも、今は違う。あの時のような子供じゃない。

ミュラーを見るオリビエの目は、言葉にせずともそう語っていた。

「……とりあえず、この辺りはカシウスさんにちゃんと話を聞いておかないといけな

いね。ちょうど今日会う約束をしているし…………」

コン、コン

オリビエがそこまで呟いたとき、扉の向こうからノックする音が聞こえた。

オリビエもミュラーもピタリと口を止めて扉の方を凝視する。

扉が遠慮がちに開かれると、見慣れたメイドがいつもと違う空気を纏った2人に少

し戸惑ったように顔を出した。

「あ、あの、先ほどグランセル城の方から通信がありまして……伝言をお預かりし

てるのですが……」

「伝言? 誰からだい?」

「王国軍のカシウス・ブライトさんからです」

「カシウス・ブライトだと?」

つい今しがたオリビエが口にした名を出されてミュラーは思わず立ち上がってしま

う。

それとは対照的に、オリビエは表情を崩すことなくメイドを見る。

「はい。本日カシウス・ブライトさんとお会いになる約束をされていたそうですが、明

日に延期して欲しい。とのことです」

「延期?」

ミュラーは目を見開く。

昨日、やっとのことでカシウスとの対面を果たしたオリビエだが、すぐさま改めて会

う約束を取り付けた。

「なんでもすぐに家に戻らなければいけない用事ができてしまったとか。今さっき

貨物船に飛び乗られたそうです」

メイドは自分が悪いことをしてしまったかのように申し訳なさそうに頭を下げる。

そんなメイドにオリビエは柔らかな笑みを返した。

「……わかった。伝言ありがとう」

オリビエの笑みに緊張がほぐれたのか、メイドは微笑みながら軽く会釈をして部

屋を出て行った。

そしてまた2人の時が訪れる。

ミュラーはまだ突っ立ったままだったが、すぐに思い出したようにオリビエを見た。

「オリビエ……」

けれど視線の先にいるオリビエはミュラーとは違い、全てを見透かしていたのか

困ったように笑う。

「やれやれ。恐らくエステル君とヨシュア君絡みだよ。カシウスさんも帝国から戻っ

てきたばかりなのに大変なことだ」

呟いて、静かに立ち上がる。

窓から外を見る顔には、もう笑みはない。

「……思ってたより早く動き出しちゃったみたいだ。こちらもできるだけ準備をして

おかないとね」

独り言のように呟いて、オリビエはじっと外を見る。

ミュラーはただ、そんなオリビエの横顔を見つめていることしかできなかった。









雨はまだ止みそうな気配を見せない。

何も言葉を発せない中……雨音だけが、ただ静かに響いていた。














































オリビエがいつ百日戦役のことを知ったのか。これも謎。
ってことで自分でいろいろ解釈してみました。7で撃沈させてくれることを希望(笑

2007.10.7 UP

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