++ 地図にない村 ++





それはクーデターを防いだ功労者として、オリビエがアリシア女王主催のグランセ

ル城の晩餐会に招待をされた日の夜のことだった。

本来ならそんなところにオリビエを送り出すわけにはいかないのだが、名指しで招

待されたために無碍に断るわけにもいかず、絶対に大人しくしておくことを条件に

ウキウキ気分の男を仕方なく送り出したのだ。

望みの宮廷料理と美味い酒を堪能し、柔らかなベッドでマヌケな夢でも見るのだ

ろうかと思いながらも、心配ではあったがオリビエのことばかりを考えているわけ

にもいかず、ミュラーは大使館に残って溜まっている仕事を淡々と片付ける。

一段落ついたところでそろそろ眠りにつこうと立ち上がる。すると、

コン、コン。

「…………?」

立ち上がったところで、ふと物音が聞こえた。それは何かが窓を叩くような音。

どこかの酔っ払いが石でも投げ入れたのだろうか。不審に思いながら窓の方に寄

る。

窓を開けようと手にかけて……息を呑む。

「お前……!」

窓の外の茂みの中に、夜の暗闇の中に不自然なほどの金の煌きが過ぎる。

慌てて窓を開けると、ひょっこりと呑気な笑顔がミュラーに向けられた。

「ただいまー」

「オリビエ、貴様一体どこから……」

「あ、静かにね、みんな起きちゃうから」

思わず怒鳴りつけそうになるミュラーに人差し指を立てると、オリビエは何事もな

かったかのように慣れた様子で窓から部屋の中に入る。

「正門はすでに閉まっているだろう? どうやって中に入った」

「ふふふ。ボクだけのヒミツの抜け穴があるのさ」

オリビエは冗談っぽく言うが、この男が言うと冗談に聞こえない。本気でどこかに

穴を掘っているのではないかと思ってしまう。

「それに、晩餐会はどうしたのだ?」

「あ、それは大丈夫。晩餐会はもう終わったから」

「あちらに部屋を用意してもらったのだろう? 何故戻ってきた」

「だって、ミュラーのぬくもりを感じないと眠れないもん♪」

「……寝言は寝てから言え」

ミュラーの冷たい言葉にもオリビエは笑みを返す。

「ま、冗談はそのくらいにしておいて……調べたいことがあってね」

「調べたいこと?」

「うん。ちょっとね」

言いながらオリビエは部屋を出る。自然とミュラーもついていく形となった。

もう夜も遅いため部屋の外に出ている者は誰もいない。暗闇の中、絨毯を踏みし

める2人分の足音が静かに響く。

「調べごとなど明日でもいいだろう? 何をそんなに急いでいる」

「………………」

オリビエはミュラーの言葉には答えることなく、大使館の書庫の中に入る。

「おい、オリビエ!」

声を荒げてしまうが、オリビエはミュラーの声など聞いていないのか、慣れた手つ

きで本棚から何冊か本を取り出すと机に向かって座り込んでしまう。

そこでやっと呆気に取られたままの様子のミュラーに気付いたが、

「あ、ごめんごめん。ミュラーは先に寝てていいよ」

と軽く手を振るとさっさと本を読み始めてしまう。

いつになく真剣な眼差し。何かを考えるように口元に手を当てながらぶつぶつと呟

き、空いた方の手でページを捲る。

……それは完全に自分の世界に入ってしまった証。

昔からオリビエは調べたいことがあるとそのことばかりに集中し、周りが見えなく

なってしまうばかりか声すら聞こえなくなってしまう。そんなことが何度かあった。

こうなるともうミュラーにも手が付けられない。

聞きたいことはあるし怒鳴り散らしたいところでもあるが、オリビエの気が落ち着く

まで待つしかない。

「………………」

けれど何故、今、この時にこんな状況に陥ってしまったのかがわからない。

クーデターは阻止できた。目的の人物と会う約束も取り付けた。今更調べることな

どないはずだ。

……それでもグランセル城を抜け出してまで戻ってきたのだ。余程気になることが

あったのだろう。

仕方なく本の虫と化してしまった主を置いて書庫を出ることにする。

扉を閉める瞬間もう一度部屋の中を振り返る。が、オリビエはミュラーの方を見よ

うとする気配すらない。

「……まったく……人の気も知らずに……」

自分が仕えると決めた主ながら、人を置いて一人で突っ走ってしまう自分勝手さ

だけはいい加減どうにかしてほしい。

ミュラーはもう一度ため息をつくと静かに扉を閉めて自分の部屋に戻ると、柔らか

なベッドの中に身を沈めた。






















……そして、夢を見た。

それは今から10年ほど前。まだ自分も、そしてオリビエも世間の渦に巻き込まれ

ていなかった頃の夢。

あの日は確か、外にはしとしとと雨が降っていた。

剣の稽古を終え、疲れきった体を引きずりながらも主の部屋を訪れたミュラーを

出迎えたのは、豪奢な絨毯の上にしゃがみこんで床を睨みつけるようにしている

オリビエの姿だった。

(……オリビエ、何をしてるんだ?)

声を掛けると、そこでオリビエは初めて来客があったことに気付いたのか、肩をビ

クリと震わせ、弾かれたように顔を上げる。

けれどそこにいたのがミュラーだとわかると、安堵するように胸を撫で下ろした。

(どうしたんだ?)

この頃オリビエには毎日のようにイタズラで迷惑をかけられていたので、また何か

を企んでいるのではないかと少々警戒をしてしまう。

……けれど、幼なじみの様子がいつもと違う。

(……ミュラー。ちょっとこっちに来て)

真剣な顔に手招きをされ、何かただならぬ空気を感じてミュラーは幾ばくか緊張し

ながらオリビエの側に寄る。

(……ねぇ、ミュラー、やっぱりおかしいよ。ほら、これ見て)

そう言いながら指差すのは先ほどまでオリビエが睨みつけていた絨毯。

……いや違う。絨毯の上に敷かれた大きな地図。この地図は確か、つい先日出

たばかりの最新のものだ。

大きな地図の前にミュラーもしゃがみこむ。オリビエはその一角を指差す。

リベール王国の国境に近い山沿いの地域。けれど指差す場所には何もない。

(……その地図がどうかしたのか?)

ミュラーは眉根を寄せるが、オリビエは更に怪訝そうな顔をしてみせる。

(わからない? ここにあった村の名前が消えてるんだよ)

(村?)

(うん。ハーメルって言う、小さな村)

オリビエは真剣な眼差しをミュラーに向けるが、ミュラーは首を傾げさせるしかな

い。

エレボニア帝国は広い。特にミュラーはまだ帝都からほとんど離れたことがないた

め、そんな辺境の地のことなど聞かれてもわからない。

けれどオリビエは不安そうに地図を見る。

(この前までの地図には載っていたんだよ……)

言いながら立ち上がると、机の上に置いていた少し古ぼけた地図を手にしてミュ

ラーに差し出す。

ミュラーはそれを受け取ると、半信半疑のまま地図を広げてみた。

地図なんて今までじっくりと見たことがないが、先ほどオリビエが指差したところを

見てみると、確かにそこには小さな文字で『ハーメル』と記されていた。

(……本当だ)

(ね? あるだろ?)

手の中の地図と床に広げられた地図を交互に見やる。

(……よく気付いたな。こんな小さな村)

エレボニア帝国の端っこの、鉄道網すら行き届いていない小さな村。オリビエに言

われなければ、ミュラーは一生『ハーメル』という村の存在を知ることはなく生きて

いただろう。

(昔、暇だったから地図はよく見てたからね。最近は辺りの自治州とかを併合して

しょっちゅう地形や地名が変わっちゃうから大変だよ)

オリビエはなんてことのないように言って、再び地図を睨みつける。

(……だが、この村の名前が地図から消えたことが何か問題なのか?)

それがミュラーの率直な感想だった。

こんな小さな村の名前が地図から消えたことがそんなに焦るほどのものなのかと

首を傾げさせてしまう。

けれどオリビエはそんなミュラーの言葉に大仰に眉を顰めさせた。

(何言ってるんだよミュラー。いくら小さな村だからって、何の騒ぎを見せることもな

く地図から消えてしまったんだよ? そんなことがあると思う?)

そう。それが当たり前かのように。以前から、ハーメルという村などこのエレボニア

には存在していなかったかのように。

オリビエの声は本気で怒っているように聞こえた。彼がこんなに怒りの感情をあら

わにするのは珍しい。

(村人達が移住したにしろ事故が起こってしまったにしろ、地図から名前が消され

たということは、もうすでにこの村はエレボニアには存在しなくなってしまっている

ということだ。……しかもこの地図は帝都にある出版社で刷られているから、どう

いう経路かは知らないけど確実にその事実が帝都にまで伝わっている。ミュラー

はそんな話、どこかでちょっとでも聞いたことがある?)

(………………)

オリビエの言葉に、ミュラーはただ首を横に振ることしか出来ない。

確かにオリビエの言うとおりだ。小さな村だからと、深く考えることすらしなかった

自分が恥ずかしい。

(……去年はちょうど百日戦役が起こった年だ。しかもこの村はリベールとの国境

沿いにある。だからと言って、戦渦に巻き込まれるにしてはハーケン門から離れ

すぎている……)

百日戦役。

それはリベールがエレボニアに侵攻をしてきたからと、エレボニアがリベールを制

圧した戦争。

結局リベールの有能な軍人のおかげで侵攻は失敗したものの、その戦争には大

きな謎が残されている。このことに対してもオリビエはしきりに首を傾げさせていた

が、まだ子供としか思われていない皇子に事を詳しく説明してくれる人など誰もい

ない。

(オリビエ……お前、何を考えてる?)

ミュラーは一人でぶつぶつと呟いているオリビエを見下ろす。

オリビエは最近、叔父のゼクスに兵法を習いだした。ミュラーの中に嫌な予感が

よぎる。

(……わからないよ。ボクには何もわからない。……ただ、何かが起ころうとしてい

る。そんな気がするんだ)

外を降る雨音は強さを増してゆく。

まだどこか幼さを残す顔に僅かに影が差した。

(まさか……いくらなんでも考えすぎだろう?)

笑い飛ばすように言うが、唇の端が引きつっているのが自分でもわかった。

その声音からミュラーの考えを悟ったのだろう。オリビエはゆっくりと顔を上げた。

(……ボクの考えすぎで終わるなら、それで構わないよ)

微かに揺らめく紫紺の瞳がじっとミュラーの顔を捕らえた。

その決意に満ちた瞳から目を逸らせない。










雨が窓を叩く音だけが、耳の奥に大きく響いていた。




































オリビエがいつ、どこでヨシュアのことに気づいたのか今でも謎。
そんな自分の疑問にちょっと答えるSSを書いてみました。すみません続きます。

2007.9.24 UP

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