++ 月夜の誓い ++
























『はじめまして、オリヴァルト皇子殿下』




オリビエがその男と初めて会ったのは今から10年前。

当時のオリビエはまだ、15歳の少年だった。





























「………………」

夜も静かに更けた宮廷内。周囲には人の気配はなく、ひんやりと冷え込む廊下を

オリビエは黙り込んだまま離れにある自室に向かって歩いていた。

その表情は暗く沈んでいる。いつも本気かどうかわからないふざけた態度を取っ

ている彼からはあまり想像することのできない表情だ。

「………………」

そんな彼の後ろを控えるように歩いているのはミュラーだ。先ほどから一言も言葉

を発しない主の背中をじっと見つめている。



今日は新しい帝国宰相が赴任をしたお披露目のパーティがあった。

庶出故、オリビエは滅多にそのような場に顔を出すことはない。だが、今回は宰

相自らオリヴァルト皇子も是非にと言われ、そうすればオリビエに拒否権はなく、

久々に公式の場に顔を出すことになったのだ。

『まー、せっかくだから美味しいものをたくさん食べさせてもらうことにするよ』

と最初は笑っていた彼だったが、今はその時の笑顔は見る影もない。

「………………」

何かを考え込むように顔を伏せたままただ黙々と歩く。

普段の彼ならパーティがあると、いつもまだ飲んではいけない酒をこっそりと飲ん

でほろ酔い気分になっているのだが、今日は一滴も酒を飲んでいない。それどこ

ろか楽しみにしていたはずの料理にすら手をつけていなかった。

「……オリビエ。どうしたんだ?」

そんなオリビエについに業を煮やしたのか、沈黙を守っていたミュラーが口を開

く。

けれどオリビエは足を止めることもミュラーの方を振り返ることもせず、ただ力なく

首を横に振る。

「……なんでもない」

そんな態度にミュラーはムッとしてしまう。

「なんでもないことはないだろう。貴様のようなお調子者がああいう場で何もしない

はずがない。何があったんだ」

つい乱雑な聞き方をしてしまうが、ミュラーはオリビエの様子がいつもと違うことに

誰よりも早く気付いており、会場にいた時からずっと心配していた。

けれど付き合いが長い上にミュラー自身がそういう性格だからか、あまり優しい言

葉をかけることができない。

それにこういう時にオリビエに対して曖昧な聞き方をすると、いつも最後は煙に巻

かれてしまうことも長い付き合いから知っている。

……昔からそうだった。オリビエはいつもどうでもいいことで人を困らせる割には

深刻なことは誰にも言わず一人で抱え込んでしまう。

庶子だから、嫡子である兄たちに迷惑をかけないようにと気を使う生活を送って

いたからか、そんなことばかりが上手になってしまっていた。

「……オリビエ」

苛立ちを覚えながらも、ミュラーは次第に足取りを重くしてゆく主の名を先ほどよ

りも強い口調で呼ぶ。

まだ宴は終わっていないのに、オリビエが早々と帰ろうと言い出しても反論しな

かったのは、あのままあの場にいたらオリビエのためにならないと判断したから

だ。

けれどその理由はまだわからない。本人の口から言ってもらえると思ったがその

気配はない。聞かなくてもいいことなら聞かないが、これはきちんと聞かなければ

ならないと、ミュラーの直感が叫んでいた。

……ならばこれ以上は実力行使だ。

「オリビエ」

再度、釘を刺すように名を呼ぶ。

「………………」

ミュラーがオリビエのことをよく知っているように、オリビエもミュラーのことを誰よ

りもよく知っている。

そこでやっとちらりとだけミュラーの方を見て、今にも怒鳴りだしてしまいそうな親

友の顔色にこれ以上は誤魔化せないと判断したのだろう。諦めたように足を止め

ると、近くにあった柱に凭れかかり、周りに誰もいないことを確認してから重々しい

口を開いた。

「……ミュラーは、新しい宰相殿のこと……どう思う?」

「宰相の……?」

唐突な言葉にミュラーは目を丸くする。

オリビエは床を見つめたままただ頷いた。その顔はどこか怯えているように見え

る。

今日のパーティの主役。

エレボニア帝国に新しく就任した宰相、ギリアス・オズボーン。

まだ若いが豪腕でやり手の勢力的な政治家だと噂には聞いていた。ミュラーも実

際に会ったのは今日が始めてだが、確かにどこか自信に満ち溢れていて、今ま

での帝国宰相にはなかったタイプのように見えたし、決して悪い印象は抱かな

かった。

「オズボーン宰相がお前に挨拶をしに来た時に顔を合わせただけだから何とも言

えないが……宰相殿がどうかしたのか? 何か言われたのか?」

オリビエに対して「庶出だから」と陰口を叩いたり、時には面と向かって嫌味を言

う輩など昔から腐るほどいた。

まだ今よりずっと子供だった頃はそんなことがあるたびに部屋に戻って泣いてい

たが、さすがに今となってはそれらを笑い飛ばせる術を覚えている。

だからそういう類のことではないだろう。わかっていたが念のために聞いてみる。

「………………」

けれど案の定オリビエは首を横に振る。だが、怯えた表情は変わらない。むしろ

先ほどより顔色が酷くなっているように見えるのは月明かりのせいだけではない

はずだ。

「オリビエ……?」

こんなに怯えた様子のオリビエを見るのは初めてだった。

オリビエにとって半ば畏怖の象徴である父親や兄たちに対しても、ここまであから

さまな表情を見せたことはない。

ミュラーは困惑してしまいながらも、ふと思い出していた。

オリビエの様子がおかしくなったのが、オズボーン宰相と挨拶を交わした直後から

だということを。

「ミュラー……ボク、あの人が怖い……」

咽喉の奥から搾り出したような、今にも掻き消えてしまいそうなほどのか細い声。

「あの人……オズボーン宰相のことか?」

「………………」

返事はない。だが、オリビエの様子から宰相のことを指しているのは明らかだっ

た。

「怖い……あの人の目が、怖いんだ……」

「………………」

オリビエはただじっと床を見ている。……けれどその瞳の奥に映し出されているの

は一体何なのだろうか……

「あの人に見つめられたとき、飲み込まれてしまいそうになって……怖かったん

だ。目を逸らしたいのに逸らせなくて……どうしてかわからないけど、怖くて、怖く

て……逃げ出したくて……」

かたかたとオリビエの体が震えだす。何かに縋るように自分で自分を抱きしめる

が、その手も震えていた。

「ボクの名前を呼んだ。その声も怖かった……!」

『はじめまして、オリヴァルト皇子殿下』

オズボーン宰相はそう言いながらオリビエに笑みを見せた。

傍から見れば着任したばかりの宰相が皇子に丁寧に挨拶をしているという、ただ

それだけの光景だっただろう。

……けれどオリビエにその瞬間、背筋に氷を入れられたような悪寒が走った。

宰相の目がまるで獲物に喰らい付こうとする獣のように見えて……この男を受け

入れてはいけないと、放っておけばエレボニアという国はこの男に喰われてしまう

と、本能的にそう思ってしまったのだ。

「怖い……怖いんだ。きっとあの男はこの国をどうにかしてしまう……! 父上も、

ボクも、ミュラーも、みんなみんなあの男に……!!」

目を瞑っても嫌でも脳裏に焼きつくあの視線。

怖い。怖い。怖い。

その感情ばかりが今のオリビエを支配している。どれだけ足掻いても逃れること

なんてできない。

いっそ、このまま心までバラバラにされてしまった方が楽なのではないか……?

一瞬そんな錯覚すら覚えてしまいそうになる。……けれど、

「オリビエ!」

「!!」

体が崩れ落ちそうになってしまう寸前、ミュラーの手がオリビエの肩を掴んで現実

に引き戻す。

オリビエは体を大きく震わせた後、弾かれたように顔を上げる。

「落ち着け! オリビエ!」

「……ぁ……」

心配そうな、すまなさそうな顔をした幼馴染と目があった。

自然と体の震えが止まる。それと同時に全身を駆け巡っていた悪寒も嘘のように

消え、後には強い疲労感だけが残された。

オリビエは何度か瞬きをしてみせる。目の前の光景は何も変わらない。先ほどま

で自分を支配していた宰相の視線も今は感じない。

「………………」

大きく息を吸い、肺の中の空気を全て吐き出す。そうすることでやっと本当に現実

に帰ってこれたような気がした。

「……ごめん、ミュラー……」

「いや……俺も、無理に変なことを聞いた」

オリビエが落ち着いたのを見計らってミュラーは手を離す。

オリビエももう一度大きく深呼吸をすると、額に滲んだ汗を拭う。

「………………」

「………………」

2人の間に沈黙が流れる。互いの顔を見ることができず、ミュラーはオリビエに背

を向けた。

……この時、2人は同じことを考えていた。

オリビエの勘はいつも妙なところで当たる。

と言うより、ミュラーと出会うまではいつも他人の顔色を伺って暮らしていたせいか

洞察力が鋭く、人から憎悪や嫉妬などの歪んだ感情ばかりを受けて育ったせいで

感受性が人一倍強いのだ。

だから、今回のオリビエの「勘」も決して一蹴できるようなことではない。

それどころか、オリビエがここまで怯えると言うことは宰相の企みが尋常なもので

はないという証だ。

……けれどそれが意味することは、一体何なのだろう。

帝国の宰相を疑うということがどういうことなのか……そんなことがわからないほ

ど2人は子供ではない。

「………………」

「………………」

まだ2人の間には沈黙が続いている。

けれど気がつけば、どちらからでもなく互いの方を向き合っていた。

ミュラーの目に映るオリビエの顔にはもう怯えの表情はない。むしろその瞳には

強い意思が湛えられているように見えた。

「……ミュラー。明日からちょっと手伝ってくれない?」

いつもより低い声。そして、力強い視線。ミュラーはそんな主から目を逸らすこと

ができない。

「何をだ……?」

ミュラーの呟きに、まだ幼さを残した顔がゆっくりと空を見上げる。

大地を強く踏みしめ、睨みつけるように唇を引き結んで、下ろした拳を食い込むほ

どに握り締めて。




それはまるで、月に向かって宣言をするかのように。




「あの人がこのエレボニアで何をしようとしているのか、暴いてみせる」











……そう、それは誓い。

2人の少年の、月夜の誓い。
































……これから10年後、オズボーン宰相が《身喰らう蛇》と繋がっていると確信した

2人は彼に対して宣戦布告をすることになる。








その先に待ち受けているのが何なのか……それはまだ、誰も知らない。




































本当に英雄伝説7が今から楽しみで仕方がないんです!!

10年前の宰相を想像したらうっかり萌えてしまったのはヒミツ(笑

2007.7.8 UP

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