++ ワインとジュースと微笑みと ++




ヴィン……

「あ…………」

浮遊都市リベル=アークに探索に出た仲間たちを見送り、アルセイユ号全体の

指揮官として残ることになったクローゼが、休憩室への自動扉の開く静かな音と

共に思わず呟いてしまったのは、ほぼ同時のことだった。

乗組員達への指示も一段落し、ユリア大尉にも促され、しばしの休憩をもらおうと

遊戯室に足を運んだのが始まりだった。

アルセイユ内には、どんな時にも休息が必要だという配慮から、食事だけでなくお

酒も嗜むことができるようにと作られた小さなバーが備えられているのだが……

そのカウンターに、1人の男が座っているのが見えた。

肩より長い金の髪。長旅のせいかどこかくたびれたように見える白いコート。

ドアが開いたことに気付いたのだろう。カウンターに向けられていた顔が、ゆっくり

とクローゼの方を見た。

「……おや、姫殿下。休憩かい?」

「あ……はい……」

クローゼの姿を捕らえた途端、溢れんばかりの笑みが出迎えてくれる。

自称旅の演奏家オリビエ・レンハイム。

……その正体はエレボニア皇帝の一子、オリヴァルト・ライゼ・アルノール。

そのことを知ったのはほんの数時間前のこと。

何時如何なる時も平静を装うクローゼも、さすがにあの時ばかりは驚いて声を出

せなかった。

あの場にいたのは、本気なのか冗談なのかわからずいつも飄々としていたオリ

ビエ・レンハイムでなく……帝国の皇子、オリヴァルトだったから。

真実、ハーケン門でのオリヴァルトの言葉は全て的を射ていた。勝ち誇ったような

瞳に何も言い返すことができなかった。

頭に血を上らせたエステルの乱入により何とか冷静さを取り戻すことができたけ

れど……もしそれがなかったら、もしかすると言い負かされていたかもしれない。

「……オリビエ、さん……?」

思わず名を呼んでしまったのは、きちんと確かめたかったから。

先ほどまで自分と対峙していた男と今目の前にいる男が、どうしても結びつかな

かったから。

「なんだい? 姫殿下」

けれど返ってきたのはどこか悪戯好きの子供のような、クローゼもよく知っている

あの笑顔。そのことにクローゼは思わず安堵の笑みを漏らす。

「えっと、お隣よろしいですか?」

「もちろんだとも。このオリビエ・レンハイム、美女のお誘いを断る口は持ち合わせ

てないのだよ」

「お誘いというほどでもないのですが……」

苦笑しながらも、クローゼはオリビエに並んで座る。

先ほどまで自分の中を張り詰めていた緊迫した空気がほんの少しだけ和らぐよう

な気がした。

「姫殿下……おっと、王太女殿下と呼んだほうがよろしいかな?」

「かまいませんよ、いつも通りで。……私も、皇子殿下と呼んだほうがよろしいで

すか?」

少しだけ含みを込めて言ってみると、オリビエは大仰に肩を竦めさせてみた。

「それは謹んで辞退させていただくよ。ここにいるのはただの物好きな旅の演奏

家、オリビエ・レンハイムだからね」

「フフ……そうですね」

互いに小さく笑いあったところで、クローゼの前にジュースの入ったグラスが置か

れる。

「おや。殿下はお酒は嗜まれないのかな?」

「……私、まだ未成年ですけど」

赤いワインで満たされたグラスを傾けるオリビエに呆れ顔を返しつつも、クローゼ

はそのグラスに自分のグラスを軽く合わせる。

静かな場にチン、と小気味よい音が響く。そのままグラスを口に運び、乾いた咽喉

をほんの少し潤した。

「……しかし本当にすごいねリベールは。エレボニアじゃあ、こんなにゆっくり休息

を取ることがができる軍艦船があるだなんて考えられないよ」

大きくため息をつきながらオリビエは室内をぐるりと見回す。

「えぇ。どんな時でも安らげる場所が必要だという陛下のお計らいなんです」

「……本当にアリシア陛下は国民のことを第一に思っているのだね……」

ふと、オリビエの目が遠いものになる。

……その目は、何かに思いを馳せているもの。

一体何を思っているのだろう。……クローゼは思わず聞いてしまいそうになったけ

れど、寸でで口を噤む。

……聞かなくてもわかる。オリビエは祖国のことを思っているのだ。

庶出であるため公式の場にあまり顔を出すことのない皇子。

彼が今まで一体どういう生活を送ってきたのか……どれだけ考えてもクローゼに

はわからない。

ただ、自分とは全く違う、比べ物にならないほどの苦労を背負ってきたのだろうと

いうことだけはわかった。

「オリビエさんは……始めから知ってらしたんですよね……?」

「何がだい?」

「私が、縁談相手だったことです」

「あぁ、そのことか。うん、知ってたよ。話を持ちかけられ時に写真を見せてもらっ

たからね」

全く悪びれた風のない様子に微笑みながらオリビエはワインを一口飲む。

でもどうしてだろう。クローゼはむしろその軽々しさが心地良かった。

「……人が悪いですね、オリビエさん。ずっと黙ってたなんて」

それでも悪態を吐いてしまったのは先ほどのハーケン門での出来事の仕返しの

つもりなのかもしれない。

ちょっとくらい相手を困らせてやりたい。そう思ったのだけれど、オリビエはやはり

笑みを崩さない。

「いや、でもリベールに来たとしても、まさか本人に会えるとはこれっぽっちも思っ

てなかったからさ。実際に会ってみてもボクのことに気付かなかったし、縁談話も

断られちゃったし、ま、いいか。って」

オリビエらしい言い草にクローゼは小さくため息を漏らす。

……確かに、無理やり進められていた話とは言え、混乱が落ち着いた後も縁談

相手の顔すら確認しなかったのは自分の落ち度だ。

「………………」

けれど同時に、ふと思い出す。

エルベ離宮でリシャール大佐に縁談話を持ちかけられた時のことを。

顔も知らない相手と結婚をしろと……そう、言われた時のことを。

「…………少しは、覚悟していたつもりなんです」

「…………」

自然と俯き加減になってしまう。

「私も王家の人間です。決して自分が望む結婚ができるわけではないとわかって

いました。……いつかこの日が来るだろうって、それが国のためになるならきちん

と受け入れようって……そう、思っていたんです」

そこまで一気に言葉にしたが、オリビエは何も言ってこない。けれど隣から柔らか

な視線を感じ、自分の話を聞いてくれているということだけはわかった。

だからだろう。クローゼは自然と口を開いてしまう。

今まで決して誰にも言えなかったことを、言葉にしてしまう。

「……でも、リシャール大佐から話を持ち出されたとき…………その……」

グラスを両手で握り締めたまま、ちらりと伺うようにオリビエのほうを見る。

けれどオリビエは何も気にした様子もなく、見守るような笑みを浮かべているだ

け。

「嫌だって、そう思ったのかい?」

言いづらいというクローゼの気持ちを察したのだろう。オリビエが代わりに続けて

くれる。

クローゼはそれに素直に頷き、すぐにハッとしたように顔を上げた。

「あの、えと、オリビエさんが嫌だというわけではありませんから。私はその……」

「わかってるよ。恋多き年頃なのにいきなり顔も知らない人間と結婚しろなんて言

われたんだからね。例え相手が誰であれ、嫌悪感を抱いてしまうのは至って普通

のことだよ」

にこやかな笑顔を返されて、釣られるようにクローゼも微笑む。

……けれどその笑みはすぐに萎んでしまい、どこか自嘲じみたものになる。

「……でも、いけませんよね、こんなの」

そんな顔を誰かに見られたくなくて思わず俯いてしまう。

ジュースの注がれたグラスに、情けない顔をした自分が映されていた。

「国のことを第一に考えなければいけない人間が、国の未来に関して私情を挟む

だなんて……」

エレボニア皇族との結婚は決して悪いものではない。

むしろ、リベールとエレボニアの友情を固めるためには望むべきことなのだろう。

まるで枯れるのを待つだけの萎みきった花のような顔。

ずっと昔に決意したはずなのに……それなのに、どうして…………

「……どうして私情を挟んじゃいけないんだい?」

ふと響いた声。

クローゼが弾かれたように顔を上げると、穏やかな瞳と目が合った。

「次期女王候補だろうと何だろうと、それ以前にキミは一人の人間だ。もちろん伴

侶となる相手に地位や名声は必要かもしれない。けれど、それよりも姫殿下が一

生涯共に歩んでゆけると思える相手でないと、一国を守りゆくことなど決してでき

ない。……そうだろう?」

「……そう、でしょうか……」

「もちろんそうだよ。好きでもない男とずっと一緒にいるだなんて苦痛でしかないだ

ろう? やっぱり心から好きだと思える相手でないとね」

「………………」

断定するような物言いに、クローゼは胸に詰まっていた何かがするりと抜けていく

ような感覚を覚えた。

……もしかしたらずっと、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。

「……ということで、改めてボクなんていかがだろう? オリビエ・レンハイム。今な

ら無償の愛をお約束しますよ?」

両手を大げさに広げながらのちょっとふざけたセリフ。

エステルがこの場にいたら棒術で打ちのめされていたかもしれないが、今のク

ローゼにはそれがオリビエの優しさなのだと気づいたので、ただ穏やかに目を細

めた。

「オリビエさん。そんなことばかりしているとまたミュラーさんに怒られてしまいます

よ?」

「なんてことだ……ボクはいつでも本気だと言うのに……」

よよよよよ……とテーブルにしなだれるかかってしまうオリビエに軽く声を出して

笑ったところで、クローゼはふと顔を上げる。

気がつけばここに来てからだいぶ時間が経ってしまっていたことに気づいて慌て

て腰を上げた。

「……ありがとうございますオリビエさん。お話を聞いてもらったらなんだかすっき

りしました」

「あぁ。もしまた困ったことがあったら訪ねて来たまえ。姫殿下のためにいつでもこ

の胸を空けておこう」

ぽん、と自慢げに自分の胸を叩くオリビエにクローゼはクスリと笑い……そして、

僅かに眉根を寄せる。

「……本当に、少し勿体無いことをしちゃったのかもしれません」

「何がだい?」

目の前にある満面の笑顔。クローゼはそれに負けないくらいの笑顔を返す。

「オリヴァルト皇子がオリビエさんだと知っていたら……私、ちょっと考えていたか

もしれません」

それがクローゼの本音だった。

一体どこからどこまで本気なのかわからないけれど、こうして少し話をしただけで

もとても穏やかな気分になれる。

恋愛感情はないけれど……それでも、一緒にいるだけで心安らげる。

仲間として、とても頼りになる。

「……へ?」

初めてそこで、オリビエは不意を突かれた様な表情になる。

クローゼは笑顔のまま会釈をして、それ以上は何も言わずに休憩室を後にした。

「………………」

後に残されたのは飲みかけのジュースの入ったグラスと、少し抜けた顔を浮かべ

たオリビエだけ。

ほんの少しの間をおいてから、オリビエは思い出したようにグラスに残されたワイ

ンを飲み干す。

空のグラスをカウンターに置くと、頬杖をついて口の端に笑みを浮かべた。

「やれやれ…………本気にしてしまうよ? 姫殿下……」




オリビエの呟きは、誰に聞かれることもなく消えていった。

































オリビエはリベール大好きっ子だから、クローゼと結婚してリベールを継いでもいいんじゃね?
なんてことを思ってた時期もあった(笑
まぁ絶対に有り得ないカップリングだけど、書いててけっこー楽しかったです。
むしろ有り得ないからこそ書けたのかもしれない。うん。
ていうかクローゼラブ!!(笑

SC終章のアルセイユで、この2人のシーンがあってもよかったんじゃないかなぁ。
ていうか欲しかった。

2007.5.20 UP

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